人間の孤独の先にあるもの・・・【あなたの人生が最高に輝く時(78)】
箱根
『孤独って素敵なこと』(浜美枝著、講談社)は、70歳を超えた浜美枝のエッセイ集だが、私たち同世代の者にとって意義深いことが書かれている。
著者は、箱根の古民家で暮らしているのだが、羨ましい環境に恵まれている。「鳥のさえずりで目覚める朝。澄み切った山の空気。頭上に広がるまあるい空。新緑のにおい、夏のにおい、秋がはじまるときのにおい・・・。頬をなでるさわやかな風。山を真っ赤に染める夕焼け。指先が凍りそうになる冬の朝の寒さ。墨を流したような漆黒の闇。皓々と照る月。小さなダイヤモンドをちりばめたような見事な天の川。四季折々美しい姿を見せてくれる富士山。その姿を鏡のように映す芦ノ湖。そして・・・20年以上もかけてつくったわが家。私の居場所はやはり箱根です」。
「最初にできたのは家の枠だけ。はじめの3年は台所もお風呂も完成しておらず、プロパンガスの簡易ガス台でご飯をつくり、近所の旅館にお願いして、もらい湯をさせていただきました。『ママ、毎日、キャンプみたいだね』。子どもたちと顔を見合わせて笑ったことも。今では懐かしい思い出です」。
「箱根の山歩きをはじめてから10年になります。スニーカーで足元をかため、ジーパンをはき、時間があれば、1時間から2時間、山を歩きます」。
「この箱根の家は私の終の棲家となるのでしょう。・・・人間は大きな自然の一部であり、私たちはほんの少し、この世に間借りをしているだけ。世の中がこれほど発展しても、私たち人間ひとりひとりができることは、ほんのちょっとしたことだとも感じます。だからこそ、今を大事に丁寧に生きたいと、切に思います。・・・また命に限りがあることを実感してから、私はこれまでにもまして行動的になりました。旅に行きたいと思ったら、行く。本を読みたいと思ったら、読む。やりたいと思ったら、いつか、と先送りせず、即、行動する――」。
ダウンサイジング
「中学までしか学校に行かなかった私にとって、人との出会いが学校でした」。
60歳になった時、著者は暮らしのダウンサイジングを決意する。「30代は、仕事と家族のことを気力と体力で乗り切り、40代では、思春期を迎えた子どもたちと全身で向き合いました。50代で父が亡くなりました。・・・そして60代に入ると、身の丈に合う暮らしを意識しはじめました。50代のスピードで走り続けていいのかと自問するようになったからです。そのときに、これまで出会った年上の友人たちの生き方を思いながら、これからをどう生きていくのがいいのだろうと考えはじめました。4人の子どもたちも巣立っていきました。そこで、暮らしのダウンサイジングを進めていこうと決心しました」。
「人は出会った物をすべて背負って生涯、生きていくことはできないのではないか。どこかで割り切らなくてはならないのではないか。家族と暮らした豊かな時間は、物の中ではなく、私の中にしっかり刻まれているのだから、物を手放しても大丈夫ではないか。家や物に思い入れが人一倍ある私だからこそ、それらを手放すために大変なエネルギーが求められる。これからを考えると、いちばん体力も気力もあるであろう今、着手するしかないのではないか。そして、60代の今こそ、この膨大な量の物と向き合ったほうがいいと、やっと思えるようになりました」。
孤独
著者は、人間の孤独を見詰め、孤独の先にあるものに思いを致している。「仕事に恵まれ、愛する家族もいますが、これまで思い通りにならないこともたくさんありました。けれど、だからこそ人生おもしろいといえる自分が、今、ここにいます。苦しいこと、哀しいこと、悔しかったこと。そうしたものをバネにして進んだこともありました。そうしたことも含め、さまざまな経験が今の私をつくってくれたのでしょう。そして人は孤独なものだとも実感します」。
「今まで両手に抱えていたものを、年齢とともに少しずつ手放し、坂道を下りていく・・・。おそらく、この年齢で向き合うのは、生命体としての変化であり、根源的な孤独なのでしょう。けれど、70代になって、その孤独への思いが明らかに変わってきたのです。私にとって、孤独はもはや友人のようなもの。寂しささえも、もはや自分の一部になってきたからなのかもしれません。・・・そして孤独の明るい面を、ゆったりと自覚できるようになりました。孤独だからこそ、自由でいられます。自分を知り、自らに優しくも厳しくもなることができます。家族や友人をより深く愛し、孤独の先にこそ幸せと豊かさがあると感じます」。
著者が到達した境地に、私も辿り着きたいものだ。