榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

これは40代の私の航海図だった・・・【あなたの人生が最高に輝く時(31)】

【ミクスOnline 2013年10月24日号】 あなたの人生が最高に輝く時(31)

航海図

男が40代にやっておくべきこと――人生の勝負はここで決まる』(鈴木健二著、大和出版。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を読んだのは、私が35歳の時であった。ここに書かれていることと自分のレヴェルとのギャップの大きさに呆然としたが、「40代に突入するまでに5年ある、よし、少しでもこのレヴェルに近づけるよう頑張ろう」と自分に言い聞かせた。それ以来、この書は私の航海図となったのである。

当時のNHKの人気アナウンサー・鈴木健二は、男の40代は、社会の、企業の、家族の中心となって先頭を切って進んでいかねばならない世代だ、その意味で、一生の中で40代が持つ意味は極めて大きい――と述べている。この時期に目先の細事に流されて漫然と過ごしてしまうか、大局を捉えて先手を打っておくかで、人生は決まってしまうというのだ。

仕事、地位、人間関係、運、判断力、精神力、健康、趣味・教養、財産、家庭、妻および女との関係、子供の教育の12の視点から、何に、いかに先手を打っておくべきか、自分のライフ・プランは万全か――を考え、針路を決定するための航海図である。

著者は、「四十代は、左手で握手をし、右手では拳を固めておく時期でもある。愚鈍な上司に服従を誓いながらも、腹の中では、いつかこいつを追い抜いてやると決意することもできる。そのためには、他人がやった経験のない仕事に挑戦したり、誰も考えつかなかった思考方法を試みたりするのも四十代である」と、かなり過激である。

仕事

「仕事」について、「四十代は仕事を通じて自分の人生に勝負を賭ける時代なのである。それに必要なのは、何かをやってやろうという『勇気』と、この問題を自分はこう考えるという『判断』と、近い将来を見通す『洞察』である。この三人の友達を持てるか持てないかで勝負は決まる」と記している。具体的には、「企画力演出力ともに秀れ、行動力も抜群であり、何よりも強い説得力を持つ。組織の中にいながら、仕事を自分個人のものとして楽しんでいる」ということになる。

地位

「地位」については、こう語っている。「会社官庁という組織の中では、がんじがらめになって、個性が発揮できないという人があるが、ほんものの個性は、踏まれようと蹴られようと押し潰されようと、いつもむくむくと頭を持ち上げてくるものである。彼はある日突然、まったくそれまでと違った現場へ配置転換されても、今度はそこでそれまでの人が誰もやらなかった仕事を二、三年のうちにやり遂げるだろう。ただし、彼がどんな仕事をしても、これはオレがやったのだと自慢したがる癖を持たなければである。謙虚なキレモノこそ、最も心強い存在になれる」。この部分を読んで打ちのめされたことを、懐かしく思い出す。私は自慢大好き人間だったからだ。

「運」――「四十代の運はひとたびこれが好運だと感じたら、その運を伸ばす努力をすべきである。四十代の好運は、組織の中にあっては一度しかやって来ない」。一方、「四十代で不運にめぐりあってしまったら、人生での戦線規模を縮小して、次の次とか、次の次の次をねらうことである」、「冷静に不運を観察できるか否かで道は決まる」と、アドヴァイスを忘れない。

判断力

「判断力」――「判断力というのは、考える力という意味だけではなく、次の一手を編み出していく力なのである。やはりここでも先手必勝なのである」、「短い時間のうちに考えをまとめ、それを直ちに実行する。これが判断力である。知っているだけで何も行なわなかったら、それは何も知らなかったのと同じである」、「判断力とは他人とは異なった考えを持ち、他人のやり方でないやり方で実行する力のことである。すべて他人と同じならば、人はそれを判断力とは呼ばないし、判断のある人とは言わないのである」と手厳しい。

「精神力」――「『頑張れ』を他人にかけ、そして自分自身にも頑張れと自分で叫び続けるのが、四十代なのである。言葉というのは、口から出てくるのではなくて、体全部で相手に話しかけるものなのである。自分の体に活力があるから、他人に対して『頑張れ』と言えるのである」。さらに、「良い管理職と駄目な管理職の分れ目の一つは、どのくらい多くの量の情報を可能な限り早く部下に流しているかにかかっているといわれる。何か事が持上がった時に、そこで一から情報を説明し始める部長と、すでにここまでは流しておいたほうがよいと判断して、あらかじめ三までは伝えておいた部長とでは。仕事の速さが違うのははっきりしている」。私の経験から言っても、全く同感である。

普段からこつこつと実力を養いながら、見栄を張ったり威張ったりすることなく、「いざ鎌倉」というときには獅子奮迅の働きをする――航海図を読み返すたびに、そういう人間になりたいと念じていたのだ。