夫婦作家が互いに本を紹介し合い、綴り続けた書評エッセイ集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(821)】
東京・杉並の久我山を巡る散歩会に参加しました。久我山稲荷神社は夏祭りを翌々日に控え、静まり返っています。境内に、元禄16(1703)年の銘のある庚申塔があります。太宰治が愛人・山崎富栄と入水した玉川上水沿いのあちこちで、ノカンゾウが咲き乱れています。北沢分水口に碑が立っています。神田川では、大きなコイたちが悠々と泳いでいます。今シーズン初めて、ヒグラシの鳴き声を耳にしました。因みに、本日の歩数は16,816でした。
閑話休題、『読書で離婚を考えた。』(円城塔・田辺青蛙著、幻冬舎)は、作家としての資質が異なる夫と妻の間で本を紹介し合い、その書評エッセイを発表するという企画の段階で、成功を約束されたと言っても過言ではないでしょう。「読書で離婚を考えた。」という過激なタイトルが、さらに成功確率を押し上げたと言えるでしょう。
例えば、夫から妻への課題図書、須賀敦子の『白い方丈』に対して田辺青蛙は、こう綴っています。「怖い話・・・では、決してないのですが、虚と実がないまぜになって進む情景描写に、酔わされて、気持ち悪さやけだるさも含ませながら、ドンと突き放されたような冷たさを最後の数行から感じてしまいました。みんなが少しずつ、浮世離れをしていて、イタリアと日本の文化の差もあり、どこか奇妙な捩じれを伴ったまま進む会話と企画」。
終盤近くになって、円城塔がこのように本音を漏らしています。「ここまで連載を続けてきて今更ですが、妻がこの連載のコンセプトを理解しているのか、たまにわからなくなりますね。レビューとしてよい文章を書く競争をしているわけではなくて、それは当然、内容の紹介はするわけですが、いわゆるレビューとは違ったところ、本を選んだ相手のことを考えるというところが主眼なはずなんですが・・・」。「こう、だんだんとわかってきたのは、別に夫婦ってお互いに理解しあってなくても平気なのではってことですかね。あらゆることが、ぴぴぴん、とわかりあいすぎるのも、ニュータイプ同士のカットインが入り続けるみたいな感じでうるさいかも知れません」。
妻が夫に薦めた課題図書、高見広春の『バトル・ロワイアル』に対して円城は、こう記しています。「中学3年生のクラスをひとつ丸ごとどこかへ隔離し、最後の一人になるまで殺し合いをさせる政策、『プログラム』。ランダムに支給された武器を手に、手抜きができないように仕組まれたルールのもと、少年少女が生き残りをかけて戦います。・・・ルール内バトルものは好きなのですが、たまに読むくらいでもあって、うーん、そうですね。がっつりルールに従うものでの驚きは、ルールの中で起こって欲しいという気持ちがあるからかも知れません」。
この夫婦作家の間で取り上げられた本と、私なら女房にこういうものを薦めるという本がほとんど重なっていないことに、読書の奥深さを感じました。