皇軍兵士として出征し、傷痍軍人となって帰還した人々の、重い写真集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(835)】
この辺りでは、たまにしか見かけないトビが、上空を旋回しています。孵化したばかりのヒメダカの稚魚は、2~3mmぐらいしかありません。今頃、フジが薄紫色、白色の花を付けています。サルスベリが鮮やかな桃色、薄紫色の花を咲かせています。あちこちで、赤紫色、黄色のオシロイバナが芳香を放っていますが、白色のものも見つけました。花弁にように見えるのは萼です。因みに、本日の歩数は10,736でした。
閑話休題、写真集『忘れられた皇軍兵士たち』(樋口健二写真・文、こぶし書房)からは、著者の、戦争に対する沸々と滾る怒りと、日本の現状への危機感がひしひしと伝わってきます。
「かつて天皇の名の下に戦争に駆り出された多くの兵士たちが、負傷し、あるいは精神に障害を負って帰還した。いわゆる『傷痍軍人』たちである。日本がGNP世界第二位の華々しい経済成長をとげつつあった1970年代初頭、その繁栄の裏側で、多くの皇軍兵士たちは巷に放り出されたまま、誰からも顧みられることはなかった。私が最初に彼らを取材したのは1970年から72年にかけての3年間だった。その頃、全国で約13万人の傷痍軍人がいた」。私が子供の頃、東京都内の人混みが多い所、上野公園などでは、傷痍軍人たちの姿をよく目にしたものです。
「元皇軍兵士であった傷痍軍人たちが、社会から疎外されたまま、にもかかわらず必死に生きていたことはまぎれもない事実なのだ。彼らは『皇軍』が人間をどのように扱ったのかの生きた証拠として、黙々と『戦後』を告発し続けていたのだ。彼らのほとんどはもう亡くなっているかもしれない。しかし、その姿を伝え続けることで、私は彼らの声を歴史に刻みつけたいと思う」。
「72年間、世界でも稀な平和憲法のおかげで日本は戦火にまみえることはなかった。今、集団的自衛権への歯止めを解かれ、若い自衛官が他国で戦争に巻き込まれれば、確実に傷痍軍人が現実のものとなろう。戦争ほど人間の尊厳を踏みにじるものはない。そのむごたらしさ、無意味さ、おろかしさに思いを馳せたい」。
1970年、著者が訪れた国立療養所箱根病院西病棟(現在の国立病院機構箱根病院)に収容されていた重症の脊髄損傷患者たちの悲痛な言葉が胸を打ちます。「『戦争に取られたのは21歳だった。工業高校を出て(戦争がなければ)自分なりに人生の可能性を発揮できたのではないかと、くやしくてならん、天皇のためお国のためだと、なぐられ、けられして、国のためにつくしてきた。見て下さいよ! 手柄を立て、勲章をもらったが何の効力もない。二度と戦争をやってはならない』と涙ぐんだ菅野茂良さんの姿を忘れられない」。戦争は人を殺し、殺される愚かしい行為であるが、兵士たちは逃れる術すらなかったのです。
戦争絶対反対の人にも、「戦争ができる国」を目指している人にも、ぜひとも手にしてもらいたい、重い重い写真集です。