榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

シンドラーに救われたユダヤ人少年が間近で接したシンドラーの実像・・・【情熱的読書人間のないしょ話(168)】

【amazon 『シンドラーに救われた少年』 カスタマーレビュー 2015年9月15日】 情熱的読書人間のないしょ話(168)

爽やかな秋風に吹かれながら散策中の私たちを、赤い花のヒガンバナが整列して迎えてくれました。ツユクサの群落を見つけることができました。さらに、ちょこんとぶら下がっているヘチマの実と、どっしりと横たわっている30cm×20cmのトウガンの実に出会うことができました。因みに、本日の歩数は12,294でした。

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閑話休題、私の尊敬するオスカー・シンドラーに何かといちゃもんをつける人がいることに不快感を覚えてきましたが、『シンドラーに救われた少年』(レオン・レイソン著、古草秀子訳、河出書房新社)を読んで、長年のもやもやをすっきりさせることができました。

「シンドラーのリスト」に載ったことでホロコーストを生き延びることができた当時10歳の少年、レオン・レイソンが、間近で接したシンドラーの考え方や行動を振り返って、冷静に証言しているからです。真実の記録が持つ説得力が私たちの心を強く揺さぶります。

「1942年10月、またしても(ナチスによるユダヤ人の)移送が実施されるという知らせが届いたため、シンドラーは(自分の工場で雇っていたユダヤ人の)従業員をゲットーへ帰さずに工場で寝泊まりさせることにした。一斉検挙のあいだは労働許可書があっても安全を保障できないと、シンドラーは知っていたのだ」。{その朝、ゲットーでナチスによる『行動(アクツィオン)』と呼ばれるユダヤ人一斉検挙がはじまった。銃声、ドイツ兵の怒鳴り声、ドアを乱暴に開け閉めする音、軍靴で階段を上り下りする者が、そこらじゅうで響いていた。・・・叫び声や銃声がしだいに大きくなり、ドイツ兵が近づいているのがわかった。隠れている人を嗅ぎだす役目のジャーマンシェパードが猛烈に吠えたてていた。犬のハンドラーの兵士は人々が慈悲を求めるのを無視して、無差別に殺した。私は両耳を手でふさいで、叫びやうめきや、『お願いだから!』『やめて!』と懇願する声から逃れようとした」。

著者たちが送られた収容所は、まさに地獄だったのです。「プワシュフ収容所はまるで異質だった。不毛で、悲惨で、混沌とした場所だ。岩に土に鉄条網、獰猛な犬、冷酷な監視員、殺風景な宿舎(バラック)が何棟も見渡すかぎり並んでいる。粗末な服の囚人たちが、銃を持ったドイツ人やウクライナ人の監視員たちに脅されて、仕事に追いたてられている。プワシュフ収容所のゲートを入った瞬間、きっとここから生きては出られないと感じた。・・・ある日、大きな岩を運んでいたところ、割れた墓石につまずいて脚を深く切ってしまった。手当てをするために診療所へ行かなくてはならなかった。あとから聞いた話だが、私が手当てを終えて診療所を出てすぐに、収容所長であるSSのアーモン・ゲート大尉がやってきて、なんの理由もなく、言ってみればほんの気まぐれで、その場にいた全員を射殺したそうだ。もしもう数分診療所にいたら、私も殺されていただろう。診療所から遠ざかっていても、アーモン・ゲートの残虐行為から逃れられるわけではなかった。作業を割りあてる役目の男たちが、ゲートや彼の取り巻きたちが殺した人数を、まるでサッカーの試合の点数のようにささやきあっているのが耳に入ってきた。『今日の合計は?』誰かが訊く。『ユダヤ人が12、ナチスはゼロ』ナチスの死者数はいつもゼロだった」。こんなことが許されていいのでしょうか。

シンドラーは闇取り引きで得た資金で、エマリアと呼ばれた工場の近くに土地を買って宿舎を建て、プワシュフの収容所長、アーモン・ゲートに多額の賄賂を掴ませるとともに、ユダヤ人労働者を工場の近くに住まわせたほうが効果が上がると言葉巧みに説得しました。シンドラーの本当の目的は、労働者たちをプワシュフの過酷な環境や残虐な収容所長のゲートから守ることだったのです。「シンドラーはわが身をかえりみず、勇気を持って危険を冒した。彼は贈賄やユダヤ人に対する型破りな態度から、つねに疑惑の目を向けられていた。前代未聞の非人道的行為が行われた時代に、ナチスによって人間以下の存在だとレッテルを貼られ、絶滅すべきとされていた人々の価値を認めた。彼は当時権力を握っていた人々、彼とは考えが異なる人々、つまりはナチスの高官や収容所長やSSの将校や地元の警察などに対して、とうてい拒絶できないほど高額な賄賂や贈り物をばらまいて取り入ったのだ。そして、パーティを開いて彼らをもてなすのも上手だった」。

「(シンドラーは工場の)室内をゆっくり歩きながら、あちこちで顔見知りの(ユダヤ人)労働者と会話をした。彼にはたくさんの名前を記憶できる不思議な能力があった。ナチスにとって私はユダヤ人のひとりでしかなく、名前は意味を持たないという事実に、私はすっかり慣れてしまっていた。けれど、シンドラーは違った。彼はあきらかに、私たち一人ひとりが誰であるかを知ろうとした。私たち一人ひとりを気に欠けていることを示した。時おり、彼はダヴィド(兄)と私の作業場で立ち止まって、会話をはじめた。背が高くて逞しい彼が、調子はどうかね、今晩は何個できたんだと、よく響く声で私に尋ねる。そして、私の答えを待って静かに立っていた。こちらの目をのぞきこむ彼の目には、ナチスの虚ろな凝視とはまるで違う、本物の関心があり、ユーモアの片鱗さえも感じられた」。少年の観察眼は鋭く、シンドラーとナチスの本質的な違いを鋭く見抜いています。シンドラーは自らの行動を通じて、ユダヤ人を底辺の存在と位置づけるナチスの人種差別イデオロギーに叛旗を翻していたのです。

「オスカー・シンドラーは英雄的行為とはどんなものかを示したのだと信じている。ひとりの人間が悪に向かって立ち上がり、大きな影響力を発揮することができることを、彼は証明したのだ。私は、それを示す生き証人である」。この、体験者だけが言える言葉はずしりと重いですね。

「オスカー・シンドラーのことを人々は、悪党、女好き、戦争成金、酔っ払いなどさまざまの表現した」。「ナチスの日和見主義者、策略家、勇気ある異端者、救済者、英雄など、オスカー・シンドラーは相反するさまざまな評価を受けている。けれど、彼は死を約束された1200人ものユダヤ人を救うという奇跡を成し遂げたのだ」。シンドラーのナチスへの密かな、しかし勇気ある抵抗が、一歩間違えれば、国家反逆罪として強制収容所へ送られたり、処刑されたりする危険を冒して行われたことを忘れてはならないのです。