サハラ砂漠の「黄金の都」から岩塩鉱山までの往復1500kmのラクダ旅・・・【情熱的読書人間のないしょ話(877)】
秋の野草観察会に参加し、ヤブミョウガ、ツユクサ、キツネノマゴ、アキカラマツ、ツクバトリカブト、ヌスビトハギ、ミズタマソウ、ムクノキ、シラカシ、クヌギを観察することができました。アズマモグラが巣の外へ排出した土が盛り上がっています。何と直径が30cmほどもある大きなものです。
閑話休題、『サハラ砂漠 塩の道をゆく』(片平孝著、集英社新書ヴィジュアル版)には、探検のロマンが凝縮しています。
「古来、人々は、塩を手に入れるために命を賭して戦い、様々な工夫と知恵を絞ってきた。・・・塩のふるさとは太古の海だ。大昔に海だったサハラ砂漠には、海塩をはじめ、湖塩、岩塩など、地球上のすべての塩が存在している。なかでもサハラ砂漠の奥地に産出する岩塩は、かつて『王者の商品』とまで呼ばれ、塩の採れない西アフリカ南部の森林地帯では金と同じ重さで取引されるほど、大変な貴重品だった。8世紀から16世紀にかけて輝かしい栄華を誇り、この地に興隆したガーナ王国、マリ帝国、ソンガイ帝国などの黒人国家は、砂漠を越えて北から運ばれて来るサハラの岩塩と、南から来る金や象牙、奴隷などとの交易で繁栄していた。その中心には伝説の『黄金の都』トンブクトゥがあった。これらの国々はすべて消え去ってしまったが、当時のままの採掘方法で塩を切り出すタウデニ鉱山と、砂漠を越えてトンブクトゥに運ばれる塩の交易は、21世紀の今も変わらずに続いている。そして、そこには命懸けで塩を運ぶ人たちがいた」。
「タウデニは、トンブクトゥの北、約750キロの流砂の彼方だが、いつかアザライ(先住民トゥアレグ族の言葉で『塩を運ぶキャラバン』の意)と一緒に訪ねてみたいと思った」。
「私にとってトンブクトゥは、キャラバンと一緒にまだ見ぬ岩塩鉱山タウデニを旅する出発地だ」。
「夜、アザライと一緒に行く、行かないで(通訳兼コックの男やキャラバンを引率するラクダ使いの男と)揉めた。・・・出発前から言い続けてきた私の旅の目的が、アザライと一緒の旅であることを相変わらず理解しようとしない。いや忘れているのかもしれない。思わず声を荒らげてしまった。『これは私のキャラバンだ。だからアザライが行くなら我々も行く。アザライが止まれば我々も止まる。私の旅の目的は、アザライと一緒に旅することだよ。それは何度も今まで話していることじゃないか』」。
「西に大きく傾いた月が足元を照らし、東の空には金星が輝く。北極星を確認しながら北に進む。草束を積むのに時間がかかり、57頭のラクダが勢揃いして歩き出したのは午前4時を過ぎていた。ラクダが3列100メートル近い長さになっている。待ち望んだアザライとの旅」。
本書はヴィジュアル版だけあって、掲載されている多数のカラー写真のいずれもが素晴らしいのです。とりわけ、「夜明けのキャラバン。7時近くに太陽が昇ってくる」、「波打つ砂の大海原」、「無数のラクダの足跡。400年以上、ラクダに踏み固められた塩の道が北に延びる」、「星降るサハラ砂漠の闇に浮かぶテント。オリオン座が東の空に昇る」、「復路出発の日、南の地平線に南十字星が立ち上がる」、「砂砂漠をゆくアザライ。右遠方に見えるのが『囚われ人の心』と呼ばれた火山ゲルブ・エル・アビド」、「サハラの塩の道で迎えた初日の出」、「南十字星と銀河。往路は北極星が道標だったが、帰路は南十字星」、「夕日を浴びたカラフルな砂丘。砂丘には人を魅了する不思議な力がある」、「雪原のような月夜の砂漠にオリオン座が昇る。白い砂は石膏」――の写真には、溜息が漏れてしまいました。
「思えば、私が望んだアザライとの旅は何度も危機に瀕した。アザライが動けば我々も動く、止まれば我々も止まる、と頑固に言い続けてきた手前、ムスターファたちアザライの『予定は未定』という行動が気になった。それは、常に最後は何が起きるかわからない、という不安だった」。
「42日間、ついに1500キロの長旅をムスターファのアザライと共に成し遂げた。砂丘で薪を拾うカラフルな衣装に身を包んだ3人の黒人女性が、顔を隠さず笑いを振りまいて通り過ぎた。トンブクトゥの匂いがした」。
私も著者のラクダ旅に同行したかのような錯覚に襲われるなど、探検気分を満喫できました。