榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

知的な若者よ、悪魔のような思想家・田辺元に騙されるな・・・【情熱の本箱(210)】

【ほんばこや 2017年9月27日号】 情熱の本箱(210)

佐藤優の本はいろいろ読んできたが、日本が懲りることなく、再び強権国家への道を辿りつつある現在、『学生を戦地へ送るには――田辺元「悪魔の京大講義」を読む』(佐藤優著、新潮社)は、彼の最も重要な著作の一つに位置づけられるだろう。

「本書を読んでいただければ、田辺(元。はじめ)の『生きることは死ぬことだ』『悠久の大義に殉じた者は永遠に生きる』というような結論に人々を引き込む悪魔的魅力を持った論理(ロジック)と表現法(レトリック)を理解していただけると思う。私が考えているのは、本書を通じて危険思想に対する予防接種をすることだ。世界的規模で『国家のために命を捨てよ』という感染症が流行したときに、この予防接種を受けた人は感染しないか、感染しても症状が著しく軽くなる」。この佐藤の言葉から、日本の現状に対する危機感が伝わってくる。

「(この合宿でやりたいことは)哲学者の田辺元(1885~1962)が書いた『歴史的現実』という本の全文読み合わせと解説と、みんなでの議論。・・・この本にはどういう魅力があって、どういう力があって、どういう怖さがあるのか。田辺元は頭が抜群にいいのです。頭が切れると同時に、人の腹に沁み入るように、相手のレベルを見て話す話術も巧みです。そして、きわめて怖い思想の持主でもある。だから、ある意味、悪魔のような思想家なんだね。彼の恐ろしい思想というものを、みなさんと一緒にきちんと読み解いてみたい」。

「『歴史的現実』のここまでは、いちおう学術的体裁を保っていましたね。・・・(最終章の)『六 歴史的現実の新段階』になると、もう徹頭徹尾ヤバい話になっていきます。いよいよ大東亜共栄圏が合理化され、お前たちは国のために死ねと、最後はそこに持っていくわけです」。「怖いのは、これだけの知的な操作を理詰めでされると、その言説がストンと腹に入ってしまうわけ。だって、田辺がいま生きていたら、このままでいいからね、『われわれは、過去の歴史の力と未来に自分がなりたい像という2つのテンションの中にあるんだ。今の自分を否定しないでいい。そこから一歩でも先に踏み出すだけでいいんだ』なんて言って、簡単に自己啓発セミナーくらいヒットさせるよ。だから油断していると、今のああいうセミナーから『国のために死ね』まで行ってしまう危険性はあるんです」。

田辺を自分の後継者に指名した西田幾多郎(きたろう)の田辺観が興味深い。「西田幾多郎は、田辺の動きについて文章には残していないけれども、非常に危惧を持っていたと思うね。西田は海軍との結びつきを強めて、終戦工作であるとか、何とか宮中に影響を与えられないかとか、いろんなことを模索していました。結局、終戦直前に死んでしまうんだけど、田辺の調子良さを、西田は苦々しく思っていたんじゃないかな」。

『歴史的現実の新段階』の肝は、その最終部分にある。

<個人は国家を通して人類の文化の建設に参与する事によって永遠に繋がる事が出来るのである>。

<今日我々の置かれて居る非常時に於ては、多くの人が平生忘れていた死の問題にどうしても現実に直面しなければならぬ>。

<死は考えまいとしても考えざるを得ない真剣な問題となる>。

<そこで生死の問題を、歴史に於て永遠に参与する立場から考える事がどうしても必要である>。

<則ち我々が生きている事が死につつある事なのである>。

<我々が死に対して自由になる則ち永遠に触れる事によって生死を超越するというのはどういう事かというと、それは自己が自ら進んで人間は死に於て生きるのであるという事を真実として体認し、自らの意志を以て死に於ける生を遂行する事に外ならない>。田辺のこの主張に対して、佐藤はこう述べている。「ここは完全に飛躍しているね。死に対して自由になるとはどういうことかと言えば、死ぬ覚悟をすることではなくて、『自己が自ら進んで』『自らの意志を以て』死において生きる、つまり死ぬことを事実として体現することだと。すなわち、死ねと。こうなっていますよね。『おまえ、自分の意志で、死ね。それが永遠に生きる道だよ』と。これはめちゃくちゃな論理でしょう? いや、論理じゃないのです。・・・検証不能の命題を、レトリックによってごまかしている。説得しようとしている」。

<具体的にいえば歴史に於て個人が国家を通して人類的な立場に永遠なるものを建設すべく身を捧げる事が生死を越える事である>。

「結局、この田辺元の論理が、まだ知的な訓練が十分になされていない学生たち、若い知識人たちの心を捉えたのです。そして、多くの人たちが、あの戦争の最終局面における特攻によって、自ら命を投げ出していきました。だからイデオローグという存在がどれぐらい重要な役割を果たしていたのかってことです。しかし批判的な視点を鍛えていかないと、このレトリックはちょっと変えるだけで、今でも通用してしまいますよね。こういう怪しい論理展開に説得されてしまわないような知的な耐性をつけていくのが大切なのです」。

田辺の『歴史的現実』は、国のために死ねと、知的な若者を説得するための、哲学的な装いをまとったアジテーションだったと、佐藤は断じているのである。そして、現代の若者たちに、このような論理に騙されるなと警告を発しているのだ。