榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

大英帝国の絶頂期を築き上げたヴィクトリア女王の生涯・・・【情熱的読書人間のないしょ話(943)】

【amazon 『図説 ヴィクトリア女王』 カスタマーレビュー 2017年11月18日】 情熱的読書人間のないしょ話((943)

秋晴れのもと、紅葉、黄葉を心ゆくまで楽しみました。夜、大先輩を囲む会に参加しました。隣席の後輩から、くも膜下出血の後遺症で要介護5であった妻が、介護4年目に要介護1へと奇跡的な回復を示した時、震える手で最初に書いた片仮名が夫の名前だったという話を聞き、感動しました。因みに、本日の歩数は13,491でした。

閑話休題、『図説 ヴィクトリア女王――英国の近代化をなしとげた女帝』(デボラ・ジャッフェ著、二木かおる訳、原書房)によって、これまで私にとって朧げであったヴィクトリア女王の生涯を詳しく辿ることができました。

「ヴィクトリア女王はその(81年という)長い人生で、前代未聞の工業的、技術的、社会的な変革を経験した国を(63年7カ月に亘り)統治し、こうした変化の多くを上手に受け入れてきた。自身の私生活も波乱に満ちていた。1819年にハノーヴァー王家の公爵の子どもとして生まれ、典型的なジョージ王朝の上流階級の娘として育つ。ロンドンの狭い地域の外で起こっていることには無関心で、馬車を利用し、手紙の配達は馬に乗った使者に頼む時代だった。・・・(18歳で即位した)ヴィクトリアの最大の功績は、君主制に安定と継続性を持たせ、将来につなげたことだろう。彼女以前のハノーヴァー王家の歴代君主にはこの点が欠けていた。祖父の国王ジョージ三世は、その長い人生の晩年には精神を病み、ふたりの伯父、国王ジョージ四世と国王ウィリアム四世は女性関係が派手で、醜聞に満ちた生活を送っていた。愛人や婚外子が受け入れられていた時代に、ヴィクトリア女王は(夫となった)ルーテル派のアルバート王子の影響を受けて、清教徒的な価値観を示した。互いに献身的な夫婦、9人の子どもたちと強い絆で結ばれた家族の幸せな生活、そして清廉な道徳観は、すべての社会階層の人々に影響を与えた。ヴィクトリアは君主としての責務にできる限り忠実に取り組んだ。初めはアルバート王子にアドバイスを受けながら、前の世代の国王たちとは大きく異なり、君主と議会のいい関係を築き上げた。統治は議会の役目となり、君主の気まぐれに左右されることはなくなった。そのため、ヴィクトリアの治世中に、政府そのものも以前より有権者の声に責任を持ち、2つの選挙法改正案を通過させることで、有権者の代表としての立場を明確に担うようになった。・・・彼(アルバート)が亡くなった直後は途方に暮れ、隠遁生活を送っていたものの、ヴィクトリア女王は尊厳と国民の信頼をきちんと取り戻した。・・・ヴィクトリアは驚くほど偏見にとらわれていない人間で、人種や階級に関係なく友情を育んだ。・・・ヴィクトリア女王の性格は複雑で、悲嘆に暮れてつらい状況でも、君主としての責務には忠実だった。・・・『ヴィクトリア朝』という言葉は女王の名前に由来する。これは莫大な数の物事が生み出された時代だった。産業と労働、発明と革新、デザインと製造、起業家と資本主義、富と貧困、都市への人口集中と裕福な中流階級、大英帝国と帝国主義。さらに、特徴的なヴィクトリア朝風のスタイルや建築様式、工学、製造、ファッション、文学が出てくる。特に文学では、チャールズ・ディケンズ、ブロンテ姉妹、ジョージ・エリオット、ミセス・ギャスケルなどが、この時代の社会的、個人的な激変を独自の視点で描いた。・・・ヴィクトリアの治世における最後の10年間には、大英帝国が絶頂期を迎える。植民地獲得や長年のイギリス人支配の中で、血が流され、残虐行為があったのは疑う余地がない。その一方で、イギリスが植民地を開発するときには民主主義、公正な裁判と法律、全員を対象にした教育などがもたらされ、貧困ができる限り解消されたのも事実である」。

読み終わった時、遠い国で遠い時代に生きたヴィクトリア女王に親しみを感じてしまいました。