縄文人の墓は「子宮」であり、死者再生のための場所だった・・・【続・独りよがりの読書論(33)】
【読書クラブ 本好きですか? 2017年11月19日】
続・独りよがりの読書論(33)
『縄文人はなぜ死者を穴に埋めたのか――墓と子宮の考古学』(大島直行著、国書刊行会)には、思いがけないことが書かれています。
縄文人の墓は、死者の「とむらい=死」のためではなく、「よみがえり=再生」の場所としてつくられた、墓は「子宮」であり、そこには死はなく、あるのは生のエネルギーだけであった、というのです。
著者は、縄文人は、よみがえりを果たすために、再生のイメージを母なるもののイメージに重ね合わせ、そのイメージを具体的に月として象徴化(シンボライズ)した、さらに、月と同じ29.5日の生理周期を持つことから、月と同格の存在として、女性をも、月のイメージに取り込み、シンボルにしたと考えています。「月は、女性の生理周期そのものであり、女性は子宮に子を身ごもります。さらに子宮の身ごもりは、月の水(羊水)のなせるわざであり、その水を運ぶのは蛇です。蛇は、脱皮や冬眠を繰り返すことから、不死の象徴であります。こういったように、すべてのシンボルが、連鎖的に、構造的に関連づけられてゆくのです」。
「縄文人がつくり出したメタファー表現のなかで、最高傑作ともいえるものが『縄文』、つまり縄目の模様だと思います。じつに1万年もの長きにわたり、土器の表面に転がされた縄文は、まさに『蛇の交合(セックス)』をレトリカルに表したものだと思います。縄文人にとって蛇は月とともに人間が生まれかわるために必要な存在であり、蛇がいかに重要な『月のシンボリズム』の一つであったかが理解できましょう」。
読み進めていくうちに、縄文人が著者の口を借りて、自分たちの気持ちを表明しているかのような錯覚に襲われました。
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