動物も未来を思い描くことができ、将来の計画を立てることができるのだ・・・【情熱の本箱(223)】
『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』(フランス・ドゥ・ヴァール著、松沢哲郎監訳、柴田裕之訳、紀伊國屋書店)は、著者が提唱する「進化認知学」とう新しい研究分野の入門書である。人間とは何か、動物に心はあるのか、これらを研究するにはどうしたらよいのか――が、明らかにされている。
進化認知学(進化の観点から、人間、動物のあらゆる認知機能を研究する学問)は、1973年にノーベル生理学・医学賞を受賞したコンラート・ローレンツ、ニコ・ティンバーゲン、カール・フォン・フリッシュらが開拓した動物行動学(エソロジー)と、比較心理学を土台にしている。著者自身の手になる挿し絵が、これらの学問を理解する手助けをしてくれる。例えば、ボノボの親子の絵には、このような説明が付されている。「ボノボのリサラは(赤ん坊と)重い石を担いで、アブラヤシの実があると知っている場所まで延々と歩く。実を拾うと、また歩き続ける。そして、そのあたりで唯一の大きく平たい岩のある場所まで来ると、石をハンマーにしてアブラヤシの実を割る。これほど前もって道具を拾っておくのだから、計画を立てていたことが窺える」。
動物の認知能力に懐疑的な人、将来について考えるのは人間だけだと主張する人、動物の知性を軽視する人、人間に備わっているのは当然と考える能力が動物にも備わっていることを否定する人たちに対し、著者は、「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか?」と問いかける。そして、著者自身の回答は、「賢い。だがかつては、とてもそうは見えなかった」というものである。
「たしかに人間は他の種の真価を理解することができるほど賢い。だがそれにはまず、科学によって当初は軽くあしらわれた、何百にものぼる事実をこれでもかとばかりに打ちつけて、固い頭を柔らかくしてやる必要があった。私たちがなぜ、どのようにして前ほど人間中心的ではなくなり、偏見を持たなくなったのかについて」の学術的進展が、本書で詳細に語られている。
私の敬愛するローレンツのエピソードが興味深い。「ローレンツはその熱意と動物に関する深い知識で聴衆を魅了した。ティンバーゲンの教え子で、『裸のサル――動物学的人間像』をはじめとする人気の高い本の著者として有名なデズモンド・モリスは、ローレンツに度肝を抜かれた。・・・モリスは1951年にローレンツがブリストル大学で行なった講演を、次のように描写している。<・・・魚について話すときには手がひれと化し、オオカミについて語るときには目が捕食者のものとなり、ガンについて物語るときには腕が体の両脇に畳んだ翼になった。彼は擬人化していたのではなくその逆で、『擬獣化』し、自分が説明している動物になりきっていたのだ>」。
「人間とチンパンジーの顔の筋肉組織はほぼ完全に同じなので、両種の、笑ったり、歯を剥いたり、唇を突き出したりする動作は、おそらく共通の祖先にさかのぼる。解剖学的構造と行動とのこの類似を認めたのは大きな躍進で、この類似は今日では当然のこととされている。私たちはみな、今では行動の進化を信じている。したがって、私たちはローレンツ学派ということだ」。
私の好きな今西錦司も登場する。「1952年、日本の霊長類学の父である今西錦司は、初めて次のように主張した。もし個体が互いの習慣を学び合い、その結果、さまざまな集団の間で行動の多様性が生まれるのなら、動物には文化があると言って差し支えない、と。この考え方は今ではかなり広く受け容れられているものの、当時はあまりに革新的だったので、西洋の科学界がそれに追い着くには40年かかった。その間、今西の指導する学生たちは、幸島でニホンザルの芋洗いが広まる様子を辛抱強く記録していった」。
「(チンパンジーの)アユムの研究を主導した日本の研究者の松沢哲郎」と、本書の監訳者・松沢哲郎にも筆が及んでいる。松沢は実験によって、ある一つのタイプの記憶テストでは、チンパンジーが人間に優ることを発見したのである。
「さらに驚くべきなのは、地位を巡って挑み合う大人の(チンパンジーの)オスたちの戦術だ。2頭のライバル間だけで対決に決着がつくことはほとんどなく、他のチンパンジーたちがどちらを支援するのかが関係するので、事前に『世論』に影響を与えておけば有利になる。オスは通常、高位のメスたちか、仲間のオスの1頭をグルーミングしてから、全身の毛を逆立ててディスプレイを開始し、ライバルを挑発する。グルーミングからは、次の段階を十分承知したうえであらかじめ相手の機嫌をとっているという印象を受ける。・・・コヤマはそのつながりを、積極的な戦略の一部と見た。オスは、自分がどんな衝突を引き起こすのか前もってわかっている。だから、一日前に仲間をグルーミングすることによって、自分に有利になるようにする」。すなわち、類人猿は、未来を思い描くことができ、将来の計画を立てることができる、未来志向の行動を取ることができるのだ。
知的好奇心を激しく揺さぶる一冊である。