中国の処世訓『菜根譚』の内容を知り、理解するのに最適な一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1036)】
散策中、ヨシガモの雄、雌、オナガガモのカップルを見つけました。オオバンの赤い虹彩と、水掻きの役割をする膜が付いている弁足が目立ちます。因みに、本日の歩数は10,355でした。
閑話休題、『菜根譚――中国の処世訓』(湯浅邦弘著、中公新書)は、『菜根譚』の内容を知り、理解するのに最適な一冊です。
「処世訓の最高傑作とされるのは、明末の洪自誠の著『菜根譚』である。『菜根譚』は、前集・後集あわせて全357条からなる文献」です。
「苦心の中、常に心を悦ばしむるの趣を得、得意の時、便(すなわ)ち失意の悲しみを生ず」(原文の書き下し文)の現代語訳は、このようになっています。「あれこれと苦心している中に、とかく心を喜ばせるような面白さがあり、逆に、自分の思い通りになっているときに、すでに失意の悲しみが生じている」。そして、「苦労しているときは人生が悲しみに満ちているのであろうか。いやそうではない。苦労しながらも、明日を夢見て額に汗して働いているときこそ、その中にほのぼのとした充実感が得られるのである。逆に、得意の絶頂にあるときは喜びに満たされるのであろうか。いやそうではない。登りつめたらあとは降るのみ。その予感に失意の悲しみがこみ上げてくる」と解説されています。苦労の中の充実感が謡われているのです。
「日既に暮れて、而(しか)も猶(な)お烟霞絢爛たり。歳将(まさ)に晩(く)れんとして、而も更に橙橘芳馨たり。故に末路晩年、君子更に宜しく精神百倍すべし」の現代語訳は、「日が暮れても、烟霞(夕景)は絢爛と輝いている。歳末になっても、橙橘(柑橘類)は一層良い香りを漂わせている。だから、人生の晩年に際してこそ、君子たる者は、さらに気力を充実させなければならない」となっています。この条は、こう解説されています。「人生も、晩年こそが美しい。人生の本当の味わいが出てくるのは歳を重ねてからである。そのとき、年老いたからと家に閉じこもっていてはならない。もう何もしないと気力を失ってはならない。むしろ逆に精神を奮い立たせ、人生最後の輝きと香りとを充分に楽しむべきである」。晩年の素晴らしさがテーマとなっていて、私のように晩年を迎えている者には励みになる文章です。
「縄鋸に木も断たれ、水滴に石も穿たる。道を学ぶ者は、須らく力索を加うべし」の現代語訳は、「縄も鋸のように木を断つことができ(縄鋸木断)、水滴も石を穿つことができる(水滴石穿)。道を学ぶ者は、このように努力を続ける心がけが必要である」。継続は力なり――と言っているのです。