榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

精密な「土の城」杉山城を築いたのは誰か、また、築かれたのはいつか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1038)】

【amazon 『杉山城の時代』 カスタマーレビュー 2018年2月25日】 情熱的読書人間のないしょ話(1038)

ハシブトガラスの賢さには舌を巻きます。じっと観察していても平然としていますが、デジタル・カメラを構えると警戒して飛んでいってしまうことが多いのです。因みに、本日の歩数は10,022でした。

閑話休題、『杉山城の時代』(西股総生著、角川選書)を読み終わって、著者のフェア・スピリットに心打たれました。

「杉山城は、埼玉県比企郡嵐山町所在の『土の城』である。・・・この城は、これまでも多くの城郭研究者や城マニアたちを瞠目させ、饒舌にさせ、あるいは沈黙させてきた。さまざまな築城技法を凝縮した精密機械のような姿が、一種異様な迫力を発しているからだ。一方で、いつ誰が築いたのかを示す確たる史料は知られておらず、戦国時代に庄氏(杉山氏とも)が在城したらしいという、心もとない言い伝えが地誌に見える程度であった」。

「そんな『謎めいた城』を、関東の城郭研究者たちは、天文末~永禄年間(1550~60年代)における北条氏による築城、と推定してきた。すなわち、北条氏と管領上杉氏、および上杉謙信との間で展開した松山城争奪戦に伴って、北条氏が築いたのであろう、というわけだ。この推測は、城郭研究者たちの間で、一種の『定説』となっていた」。

「『定説』に重大な疑義が突きつけられたのは、2000年代に入ってからのことだ。杉山城の主郭を中心として数次にわたる発掘調査が行われ、そこで出土した遺物の年代が、15世紀後半から16世紀前半におさまる、という結果が示されたのである。だとしたら、杉山城は北条氏が比企地方に進出する以前、山内(やまのうち)上杉氏と扇谷(おうぎがやつ)上杉氏との抗争の中で築かれたことになるのではないか」。

「少なからぬ研究者たちが、この『新説』を支持することとなった。従来の『定説=北条氏築城説』は、推測にもとづくものでしかない。しかし、城跡に発掘調査のメスが入り、出土遺物という『物証』が提示された以上、推測より証拠に従うべきだ、というわけである」。

「しかし、城郭研究者の中には『新説』に違和感を抱く者も少なくなかった。杉山城ほどの技巧的な縄張りが、はたして戦国前期に存在するものだろうか。関東地方の他の城と比較した場合、杉山城の縄張りを戦国前期に溯らせることが、はたして妥当なのだろうか。そうした素朴な疑問が、違和感の出発点だったのだろう」。

「堀や土塁、曲輪(くるわ)や虎口(こぐち。出入り口)などの遺構がどのように配置されているかといった、城の平面プランのことを、縄張りという。現地を踏査して、城の縄張りを図に描き起こし、その図を用いて城のことを考える方法が、城郭研究の一分野として行われている。これを、縄張り研究と呼ぶ。筆者が主に用いているのも、縄張り研究だ」。

「『杉山城問題』に関しては、これまでも多くの研究者が発言している。考古学や歴史学(文献史学)の研究者たちも、さまざまに論を立て、自身の見解を述べているが、杉山城の『新説』に納得していないのは、多くは縄張り研究者たちだ。もちろん筆者も、その一人である」。

すなわち、本書は、劣勢気味の縄張り研究の立場から「北条氏築城説」を訴求する異議申し立て書なのです。

私が心打たれたのは、「北条氏築城説」の主張だけでなく、「山内上杉氏築城説」も公平に紹介されているからです。研究書としてここまでフェア・スピリットを遵守しているケースは珍しいと言えるでしょう。

さらに、「ここまで本書を読んできて、『西股の言い分は理にかなっていて、杉山城北条氏築城説は納得できる』と評価するか、『杉山城北条氏築城説が成立する余地はあるが、論証できているとまではいえない』と見るか、あるいは『やはり山内上杉氏築城説の方が説得力がある』と考えるか、はたまた織豊系城郭説(=豊臣秀吉の北条攻めの際の前田氏築城説)に魅力を感じるか。それは、あなたの自由だ」という姿勢が潔いではありませんか。

城に興味はあるものの、全くの素人である私が判定を下すことはできませんが、杉山城を見に行きたくなったことは確かです。