榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ゲーテが作品を書く契機となり、彼の人間的成長をもたらした女性たち・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1063)】

【amazon 『若きゲーテ研究』 カスタマーレビュー 2018年3月21日】 情熱的読書人間のないしょ話(1063)

一日中、冷たい雨が降り続いています。こういう日は読書三昧です。

閑話休題、私のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ好きは、亡き父親譲りです。生前に、「誠、この本を読むと、ゲーテの若い時代のことがよく分かるよ」と手渡されたのが、昭和13(1938)年発行の分厚い『若きゲーテ研究』(木村謹治著、弘文堂書房。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)でした。

本書は、青年期のゲーテに的を絞り、その思考、行動、作品ならびに時代背景を詳細に考察しているので、読み応えがあります。

私が、とりわけ興味を惹かれたのは、ゲーテのその後の人生と作品に大きな影響を与えた女性たちと交友関係です。中でも、フリーデリケ、シャルロッテ(ロッテ)、マクシミリアーネ(マックセ)、リリイの4人に注目しました。

21歳のゲーテが地方の牧師館を訪ねた時、「彼女(フリーデリケ)の姿が戸口に現れる。『真に此の田園の空に限りなく可愛いい一つの星が昇つたのだ』。・・・『すらりと軽やかに、恰も何物をも身につけぬかの様に彼女は歩いて来た。そして美しい小さな頭にある豊かな金髪の髷の重さに堪へ得ぬばかりに、その首が細つそりしてゐた。明るい空色の眼で、彼女はあたりをはつきりと眺める。可愛いい小鼻は、恰も、此世には何事の憂ひもあり得ないかの様に自由に大気を吸つてゐた』」。

3度目の訪問時、「軈て舞踊が始まる。2人の恋人は自分達の健康を全く忘れて踊り狂つた。フリーデリケは、人々から注意をされて漸く止めた位であつた。舞踊で昂奮した彼等は、手を携へて2人だけの静かな場所に心からの愛を誓つた。ゲーテは『限りなく幸福』であつた」。

この18歳のフリーデリケにゲーテが贈った抒情詩「野薔薇」は、現在も世界中で歌われています。そして、ゲーテが60年かけて完成させた『ファウスト』のヒロインにはフリーデリケの面影が反映しているのです。

「ロッテは次女ではあつたけれども、(亡き)母に代つて此の多くの兄弟(=姉妹も含む)を擁して、その一切の世話をして行くのに、父も姉のカロリーネも他の兄弟達も、期せずしてロッテにその全支配権を委ねたのである。この一事だけでも、当時(数え年)18歳の此の少女が、如何に此の大家族の中に真珠の様に光つてゐたかを知る事ができよう。事実彼女に委ねられた母としての役割を、予期以上に立派にやつてのけて、母のない嬰兄の養育から、我儘になり勝ちの弟達の躾まで、強い意志と豊かな愛情を以て遂行したのである。要するに彼女は典型的な母性型の女性であつた事は事実であり、彼女の総ては此の本質から説明できると思ふ。(ロッテの婚約者)ケストネルやゲーテの言葉から彼女の姿を描いて見るならば、彼女は朝の太陽の如くに、明るさと自然さを持つてゐた。此の明るさと自然さと母性愛とはゲーテが常に女性に於て求めてゐる処であるが、ロッテは此の3つを極めて豊かに恵まれてゐる女性であつた」。

「ケストネルが『うららかな春の朝の如し』と言ひ、ゲーテが『生々したほがらかさ』をその周囲にみなぎらすと言つてゐるこの少女は、2人の男性の間にあつて、その本来性を曇らすことがなかつた。・・・此の明るさ素朴性、母性的叡智、節度が当に紛糾せんとした此の事件(=三角関係)を最も巧に解決したのである」。

22歳で弁護士を開業したゲーテは、舞踏会で知り合った19歳のロッテに魅了されてしまいます。ロッテに婚約者がいることを知ったゲーテは、切ない思いを抑えてロッテのもとを去ります。ロッテへの尽きせぬ思いと、ロッテの身近で起こった知り合いの青年の失恋自殺が『若きヴェルテルの悩み』に採り入れられています。

「(マックセは)当時の典型的貴族に属する女性である。然るにこの少女が結婚の相手として選ばれたペーテル・ブレンターノはフランクフルトの(富裕な)商人にして、且つ已に数人の子を持つ鰥夫(やもめ)である」。

「『(マックセと出会った)運命に今や恭しく称号を呈する。美しい賢明な運命といふ風に。・・・マックセは依然最も単純で最も価値高い特徴を以て総ての人々を惹きつける天使である。そして予が彼女に対して抱く感情、そこには彼女の夫が嫉妬に対する何等の原因も見出すまいこの感情は、予が生涯の幸福をなすのである』」。

ロッテとの別れからほどなく、ゲーテは16歳のマックセに惹きつけられます。このマックセに対する思いが、『若きヴェルテルの悩み』執筆の直接の動機となりました。

「実にリリイはゲーテが正式に婚約した唯一の女性であり、且彼の婚約者として如何なる女性にも劣らざる性質を持つ女性であつた。・・・彼女はその在るがままの美しさのうちに精一杯に伸びた自然の児であつた。彼女はいかに盛装した晴れがましい場所でも、いつもと変らぬ彼女である事、『彼女の典雅と愛嬌はいつもと変らなかつた』ことをゲーテが述べてゐる。この美しい少女が華やかな社交界に於て著しく人目をひき、人の心を引き寄せたのは、彼女の技巧による結果ではない」。

「ゲーテは初めてリリイを愛する事を知つた。嫉妬の感情の伴はない愛、即ち凡ての愛欲から浄化された愛を此の少女の上に真実に感じ得たのである」。

『若きヴェルテルの悩み』で一躍有名になった26歳のゲーテじゃ、フランクフルトの富裕な銀行家の16歳の令嬢・リリイと婚約しますが、結婚には至りませんでした。リリイは、その肖像画からも明らかなように、十指に余るゲーテの恋人たちの中で最も美しい容姿に恵まれていただけでなく、性格もよかったというのにです。

リリイが世を去った後に、81歳のゲーテが、「自分は再び美しいリリイをまざまざと目の前に見る思ひがする。そして、再び彼女の楽しい近接の息吹を感ずる思ひがある。本当に彼女は、予が深く且真実籠めて愛した最初の女性であつた。予は又彼女はその最後の女であつたとも言へよう。予はリリイに対するかの愛の時代ほど、予の真箇の幸福に近づいた事はなかつた」と告白しています。

ゲーテは、心惹かれた女性との体験を通じて得られた、愛し愛される幸せと、別れの打ちのめされるような哀しみと苦しみを作品に結晶化すると同時に、人間的に成長していったのです。そして、愛し愛された女性もまた、ゲーテによって生きる喜びを味わうとともに、別れの哀しみを余儀なくされながら、やはり人間的に成長していったのです。これぞ、恋愛至上主義の極致と言えるでしょう。