シュテファン・ツヴァイクが生涯を懸けて目指したこと・・・【山椒読書論(398)】
シュテファン・ツヴァイクの作品にはいろいろと親しんできたが、ツヴァイクその人については、ユダヤ人であること、自殺したことぐらいしか知らなかった。
そんな私に、『シュテファン・ツヴァイク――ヨーロッパ統一幻想を生きた伝記作家』(河原忠彦著、中公新書。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)が、ツヴァイクの生涯に起こったさまざまなことを教えてくれた。
最初の妻、フリーデリケ・マリア・フォン・ヴィンテルニッツが19年間の結婚生活中も離婚後もツヴァイクの執筆活動を力強く支えたこと。秘書から二番目の妻となった控え目な性格のロッテ・アルトマンがツヴァイクに献身的に尽くし、後追い自殺したこと。ツヴァイクが死の直前に拠り所としたのがミシェル・ドゥ・モンテーニュであったこと。ツヴァイクの自死には、さまざまな原因が考えられること。
「フリーデリケはこう記している。『この城は山の中腹にあるため、いろいろ邪魔が入ったが、椅子に坐ったままの仕事の多いこの家の主人(ツヴァイク)には健康の上で一つの祝福であった。主人は食後たいてい町へ降りて行って、カフェーハウスで新聞を読んだ。家には新聞は何も取っていなかった。彼は日中に新聞を読んだり、ニュースを聞いたりして仕事からそらされたくなかったのだ。山の上ではとりわけ役立つはずのラジオでさえ長いあいだ置かれていなかった』」。ツヴァイクの執筆生活を髣髴とさせる記録だ。
「(モンテーニュの)『エッセイ』にはツヴァイクの心の奥底にある悩みが、彼自身以上に的確に論及されていると感じられた。モンテーニュが他の誰よりも『自己でありつづける』という生の最高の術に献身したことが、ツヴァイクの心を打ったのだ」。そして、『エッセイ』から、「死から自由であること。生は他人の意志次第だが、死はわれわれ自身の意志次第なのであって、『自発的な死はもっとも美しい』」という部分を引用している。私は、モンテーニュは決して自殺を讃美しているのではないと思うのだが。
本書は、世界最高レヴェルの伝記作家としてのツヴァイクではなく、「世界市民」としてヨーロッパ統一を夢見たツヴァイクを追いかけることに力を注いでいる。
「ツヴァイクにとって『世界市民』と自分自身を感ずることができるという状態こそ、彼自身の存在に欠くべからざることであった。その生涯にわたって世界市民として生きるという理想をいだきつづけたこととともに、ツヴァイクには二つの『要素』を認めることができる。少なくともナチズムが、目に見えぬ精神の共和国、全ヨーロッパが祖国であるというツヴァイクの夢を消してしまうまでは。彼はその形成時代をウィーンですごしたが、この都市が多国籍国家の首都でそこでは融和と寛容の力への信頼があった時期であったということ、もう一つは、彼がユダヤ人であって、彼の述べているとおり個別の国との結びつきから自由であったことである」。
「彼のあらゆる変容と発展のうちに批評家、翻訳家、歴史家として、彼はつねにただひとつのことを目指していた。それは彼のうちに生きているヨーロッパの文化的統一を作り、確保し、説明し、広めること」。ツヴァイクは、この使命を果たすべく、生涯の終わりまで、懸命に思考し、執筆し続けたのである。
迫りくるナチスの勢力拡張を懸念して、ウィーンからイギリス、アメリカ、ブラジルへと亡命し、遂に自殺に至るツヴァイクの苦悩は理解できるが、伝記文学の最高峰である『ジョゼフ・フーシェ――ある政治的人間の肖像』(シュテファン・ツヴァイク著、高橋禎二・秋山英夫訳、岩波文庫)の主人公のジョゼフ・フーシェの強かさを見倣ってもらいたかったと、強く思う。