ナポレオンが恐れた、もう1人の男・・・【山椒読書論(389)】
ナポレオンがジョゼフ・フーシェを恐れたことはよく知られているが、実は、ナポレオンが恐れた男がもう1人いたのである。
シュテファン・ツヴァイクは、こう述べている。「国民はついに平和を翹望するに至っているのであるが、ナポレオンは戦争に次ぐに戦争を欲している。1800年のボナパルト、フランス革命の相続人であり革命の整理者であった彼は、まだその国土や国民や大臣らと完全に一体をなしていたのだが、1804年のナポレオン皇帝はもはやとっくにその国土や国民のことは胸中になかった。彼を取り巻く人々のうち、タレイランやフーシェのような賢明で思慮深い人たちが戦慄し始めたのは、誠に自然の成り行きであった。戦争はナポレオンを偉大にし、微賤の地位から彼を皇帝にまでのし上げてきた。それゆえ彼がますます戦争を欲したことは当然である。ナポレオンの好戦的情熱と、その途方もない野心に対するひそかな反抗は、彼の臣下のうち犬猿もただならぬ仲の敵同士さえも、ついに手を握るに至らしめた。すなわちフーシェとタレイランの結合である。ナポレオン配下の最も有能なこの2人の大臣は、当代において心理的に最も興味ある人物だが、お互いに虫の好かぬ間柄だった。この2人はともに冷静な現実的な頭の切れる男であり、薄情なマキアヴェリの徒である」。
シャルル・モーリス・ド・タレイラン・ペリゴールはフーシェに負けず劣らず強かな現実主義者であった。フランス革命からナポレオン時代、王政復古、ウィーン会議を経て七月革命に至る長期に亘り、外務大臣、駐英大使として存分に腕を振るったその生涯は、『タレイラン評伝』(ダフ・クーパー著、曾村保信訳、中公文庫、上・下巻。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)に詳しい。ツヴァイクの『ジョゼフ・フーシェ――ある政治的人間の肖像』(シュテファン・ツヴァイク著、高橋禎二・秋山英夫訳、岩波文庫)に肉薄する名著でありながら、人々にそれほど知られていないのは残念なことである。『ジョゼフ・フーシェ』と『タレイラン評伝』は、政治的人間を研究するのに恰好の教科書と言えよう。
タレイランとフーシェの比較は、このように記されている。「この2人の大臣は、いわば両極的な性格の持ち主であった。タレイランは、春風駘蕩とした温雅な風格を持ち、着物や会話の趣味も良く、その敵ですらも魅力で虜にするような人物だったのに反して、フーシェの方は、野卑で、口さがなく、身だしなみも衣服の趣味もすこぶる悪い。極めて無愛想な人間で、そのうえに彼の所業にまつわる諸々の噂が、その悪魔的な形相を一層ものすごいものにしていた。両雄は互いによく相手の特質を看破し合って、双方にとって便利な場合には、提携もし、協力もした。と同時に、2人は決して親友にはなれなかった」。
蛇足ながら、画家のウジェーヌ・ドラクロアの実の父親はタレイランだったという説も紹介されている。