外山滋比古の散歩の勧め・・・【MRのための読書論(149)】
散歩の勧め
『思考の整理学』(外山滋比古著、ちくま文庫)で大学生に大人気の外山滋比古の『歯切れよく生きる人――知的な健康生活』(外山滋比古著、祥伝社黄金文庫)は、全ページが散歩の勧めで埋め尽くされている。
足の散歩
「歩き出して20分くらいはなんということはない。ただ歩いているだけである。そのうちにだんだん気分が変わってくる。気にかかっていたことを忘れるともなく忘れる。頭が活発になったように思われると、ずっと前に考えて、中途半端になっていたことが、ひょっこり浮かんできたりする。『そうか、そうだ、忘れていたが、おもしろそうだナ』と思う。またすぐ忘れそうだから、メモしておきたい。そう思うことが多くなって、散歩に出るときは、紙切れと書くものをポケットに入れる」。私も毎日10,000歩以上歩くことを実行しているが、メモ帳とボールペンは必ず携帯している。
「実際、早朝、歩いてみると、たいへんに快適である。気分がいいだけではない。頭のはたらきが、前向きで、生きいきする。ぼんやりしていても、おもしろいこと、新しいことが頭に浮かんでくる。ひょっとして自分の頭も、相当に優秀なものではないかという疑念がわいたりするのである。朝飯前の散歩が健康にも、頭のはたらきにもベストである」。
手の散歩
「文字を書くのも手の運動、散歩であるときめて、毎日、きまった量、ものを書くことを発心した。・・・文字を書くのを手の散歩と考えると、10分や20分、机に向かったくらいでは、短すぎることがすぐわかる。3,000字書くにはたっぷり2時間はかかる。一気に、というわけにはいかないから、中休みする。午前と午後にふり分けることもある」。私も書評を毎日1本以上書いて発表しているので、著者に同感である。
「若いときから、ひろげるのはうまいが、あと片づけがまるで下手、整理ということができないから、身辺乱雑をきわめる。ガラクタの中で暮らしているようなもの。それを片づければ、料理にまさるエクササイズになる。そう考えて、片づけ散歩を始めた。これがたいへん疲れる。ということは運動効果がある、ということ。手の散歩も進化だと考えれば、片づけもそれほどいやでなくなる」。
口の散歩
「あるとき、よく噛むと頭を刺激する効果があるという記事を読んで、目からウロコの落ちる思いをした。歯は頭に近いところにある。それを噛み合わせる運動をすれば、頭の血のめぐりを良くするのは自然なような気がする。そうとなれば、よく噛むのは、新しい価値のあることになる。食べものの消化をよくするだけでなく、頭のはたらきに好影響をもつというのはすばらしい」。
「(自分とは違ったタイプ、職業の人たちとの)雑談会のよいところはいろいろだが、まず頭のはたらきがよくなる。考えの幅が広くなる。ひとのことばの端々に、つよく刺激されて、それまで思ってもみなかったことに関心が広がる。もちろん、老化防止になる。ひとの言うことを素直に受け入れる心が育まれる。・・・さらに大きいのは健康効果である」。足の散歩に負けない運動になる上に、ストレス解消にもなるというのだ。私も、いくつもの散歩会、野鳥、昆虫、野草、旧跡などの観察会に積極的に参加しているが、その後の懇親会を含め、雑談によって考えが深まったり、関心が広がったり、思わぬアイディアが閃いたりしたことを何度も経験している。
耳の散歩
「早朝の街を歩くと、朝の風に吹かれて心洗われる思いをする。耳も散歩しているのであろう。風の音がいい」。
五体の散歩
「見せものの娯楽しかなかった時代、社会において、散歩は大きな発見であった。とにかく体を動かすことが体によい影響を及ぼし、精神高揚につながるという洞察は、人類を変えるくらいの意味をもっている。メタボリック症候群予防などとだけ結びつけて考えるのは浅薄である。散歩する人間は、散歩しない人間とは違った生き方をしていると言ってよい」。外山先生の手にかかると、散歩も文明論、人生論の域まで達してしまう(笑)。
著者は散歩主義者を自任しているが、私も散歩主義者である。現在は、「未知との出会いをもたらしてくれる本を読む」、「その本の素晴らしさを伝える書評を書く」、「季節の移ろいの一瞬を捉えた写真を撮る」、「1日10,000歩以上歩く」生活を送っているが、散歩や観察会には必ず愛用のデジカメを携帯している。これはという写真を撮ろうとすると、自ずと自然観察の目が鋭くなり、散歩の歩数も増えるので、「目の散歩」と言えるだろう。
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