榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

人体の主役は脳ではなく、細胞だという驚くべき主張・・・【MRのための読書論(121)】

【Monthlyミクス 2016年1月号】 MRのための読書論(121)

主役は脳か細胞か

MRが日々接するドクター、薬剤師など医療担当者にとって、最大の関心事は人体である。その人体の主役は脳ではなく、細胞だと主張するのが、『人体 ミクロの大冒険――60兆の細胞が紡ぐ人生』(NHKスペシャル取材班著、KADOKAWA)だ。

バイオイメージング

本書の主張を支えているのは、バイオイメージングという最先端の技術と、エピジェネティクスという細胞における「経験を反映する仕組み」――の2本柱である。「現在、体内の細胞レベルの活動が、最先端技術によって捉えられるようになっている。生きたままの細胞などの活動を撮影する技術はバイオイメージング技術と呼ばれるが、そうした技術によって細胞の『実像』が浮かび上がってきているのだ。それはまるでひとつの自律した生命体のように、自ら周りを探り、状況を判断し、自らを変化させている姿だ。私たちが初めて詳しく知ることになった細胞たちは、全体の一部でありながらある程度の主体性をもった存在なのだ。専門家は『細胞が遺伝子を選び取る』と表現する。私たちの感覚では、まさに主客転倒だ。設計図が部品を選ぶのではなく、部品が設計図を選ぶというのだ。しかも、そうした細胞の選択が全体のありようと密接に関わっているという。そして、その細胞の世界のなかに、『経験を反映する仕組み』が隠されているらしい」。

バイオイメージングの代表選手が、2方向から光を入れて対象を観察する2光子顕微鏡であり、それをサポートするのが、蛍光タンパク質の遺伝子をターゲットとなる細胞に取り込む技術である。レーザーを当てると、狙った細胞だけが蛍光で浮かび上がるのである。この技術は、2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩による、海の中で幻想的に光るオワンクラゲからの蛍光タンパク質の発見が基になっている。

「バイオイメージングがモニターに浮かび上がった。息を呑むほど美しい細胞の姿が、そこにあった。真っ暗な視野のなかで、蛍光色に輝く(ヒトの)受精卵。・・・新しい生命として初めてのゲノムの分配が行われたのだ。(紡錘糸に)引っ張られる染色体は、その本数はもちろん、1本ずつ微妙に違う長さまで、見て取れそうなほどの鮮明さだ」。

部品である一つひとつの細胞が全体の設計図を持っているのはなぜか。「たったひとつの細胞である受精卵が分裂を繰り返して、60兆という膨大な数の細胞でできている個体をつくろうというのだ。途中は、山あり谷あり、小さい躓きや綻びには何度も遭遇するだろう。そのたびに修正できる余地を残しておく必要は絶対だ。その余地をつくり出す源が、全体の設計図を持っているということなのだ。もちろん、全体である必要性は薄いが、どの程度の設計図を持っていれば対応できるか、全知全能の監督者がいるわけではないので、思い切って全体を持たせるというすっきりとした解決策が採られているとみることもできるだろう」。

エピジェネティクス

近年、エピジェネティクスの研究が精力的に進められている。「遺伝子が働くということは、その塩基配列を読み取って特定のタンパク質がつくられるということだ。新しいタンパク質をつくろうとすれば、遺伝子の塩基配列そのものが変わらなければならない。また、その遺伝子を排除しようとすれば、塩基配列を変えてそのタンパク質がつくられなくなるようにする必要がある。ところが、遺伝子はそのままでも(塩基配列自体には手をつけなくても)、折り畳んで塩基配列を読めなくしてしまえば、実質的に遺伝子を『変えた』ようになる。これがエピジェネティクスの仕組みの基本だ」。

なぜ、エピジェネティクスという仕組みが人体に備わっているのだろうか。「遺伝子だけですべてを決めると、受精の瞬間にすべてが決定してしまうことになる。それでは硬直化を招きかねない。生まれたのちに移ろう環境に適応できない恐れがあるのだ。そこで一部の変化で、機能を変えるというエピジェネティクスの仕組みが必要になる」。「基本は遺伝子で決めているが、ある幅をもって対応するための仕組みが必要――それがエピジェネティクスという仕組みであり、その選択は細胞という現場で行われているのだ」。「氏より育ち」という諺があるが、遺伝子で「氏」が決まるとすれば、エピジェネティクスの選択によって私たちの「育ち」が左右されていくと言えるだろう。