榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

遺伝子によらない遺伝があり、それは世代を超えて伝わっていく・・・【山椒読書論(171)】

【amazon 『エピジェネティクス 操られる遺伝子』 カスタマーレビュー 2013年4月4日】 山椒読書論(171)

遺伝・進化について考えるとき、エピジェネティクスという概念抜きで話を進めるわけにはいかない時代を迎えている。この意味で、『エピジェネティクス 操られる遺伝子』(リチャード・C・フランシス著、野中香方子訳、ダイヤモンド社)は私たちの理解を深めてくれる恰好の一冊である。

エピジェネティクスとは何か。エピジェネティックな変化とは、DNA配列は変化しないまま、DNAの性質が長期的あるいは恒久的に変化することを指している。遺伝子の実体はDNAで、二重らせんの形をしている。しかし、細胞内の遺伝子は、二重らせんのまま剥き出しになっているわけではなく、通常はその周りに、多様な有機分子の結合体が付着している。それらの分子を侮ることはできない。付着している遺伝子を活発にしたり、不活発にしたりするからである。さらに重要なのは、それらの分子が長期間、時には生涯を通じてずっと、同じ遺伝子に付着し続けるということだ。エピジェネティクスとは、長期間に亘って遺伝子を調節するこれらの分子が、どのように遺伝子とくっついたり離れたりするのかを研究する学問分野である。エピジェネティックな付着や分離は、ランダムに起きることが多い。しかし、食べ物や環境汚染、ひいては社会との相互作用によって、そうした変化が引き起こされることもある。エピジェネティックな変化は、環境と遺伝子が作用し合う領域で起きている――と著者が述べている。

遺伝子の役割・位置づけも見直す必要があるようだ。これまで、遺伝子は生物の発生の経過を指揮するエグゼキュティヴ(管理職・行政官)と見做されてきた。「しかし、わたしが提唱しようとしている新しい見方では、エグゼクティブの機能は、細胞全体が担っており、遺伝子は、細胞に備わる情報源のような位置づけになる」と、著者の見解は大胆である。

これまで、遺伝は、遺伝子という舞台監督が、そのシナリオに沿って俳優(タンパク質)や裏方(細胞中の生化学物質)を指揮していく過程と考えられてきたが、著者は、「遺伝子が細胞をコントロールしているのではなく、細胞が遺伝子をコントロールしているのであり、遺伝子はアンサンブルキャスト(その他大勢)にすぎない」と言い切っているのだ。

エピジェネティクスとがんの関係は、非常に興味深い。「がん細胞内では、多くの遺伝子が正常なメチル基を失っている。すなわち、『脱メチル化』しているのだ。脱メチル化は、さまざまな遺伝子活動の異常を引き起こす。細胞増殖を抑制できなくなるのも、その一つである。実を言えば、あらゆるがんに共通する顕著な特徴は、何か特定の変異ではなく、遺伝子の脱メチル化なのだ。これはむしろ喜ばしいニュースである。なぜなら、突然変異と違って、エピジェネティックな変化は元に戻せるからだ。医療に関係するエピジェネティクスの多くが目指しているのは、病気の原因となっているエピジェネティックな変化を元に戻す方法を見つけることだ。将来、エピジェネティクスが医療の革命を起こすにちがいないと、多くの人が期待している」。

エピジェネティクスと胎内環境の関係も重要だ。胎内にいる間、母親が食べた物は何であれ子供に影響を及ぼす。その時期に母親が経験したストレスも同様である。その結果もたらされるエピジェネティックな影響によって、肥満、糖尿病、心臓病、アテローム性動脈硬化などの疾病に罹り易いかどうかが違ってくる。鬱病、不安症、統合失調症といった精神疾患についても同じことが言える、というのだ。

これは実に驚くべき本である。遺伝子によらない遺伝があり、それが健康に影響を与えるというのだから。しかも、エピジェネティックな影響は世代から世代へと何世代にも亘って伝わっていくというのだから。