ホモ・サピエンスの祖先は、アフリカでなく、ユーラシアで進化したという説得力十分な仮説・・・【情熱の本箱(251)】
『交雑する人類――古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(デイヴィッド・ライク著、日向やよい訳、NHK出版)には、ホモ・サピエンス誕生のプロセスについて、広く信じられている定説を脅かす強力な仮説が提起されている。この説は古代人の全ゲノム解析の最新成果に基づいているだけに、説得力は十分だ。
ホモ・サピエンスの進化に格別な関心を抱いている私の頭が混乱しそうな仮説とは、どういうものか。一言で言えば、ホモ・サピエンスの祖先が継続してアフリカにいたわけではなく、ユーラシアでかなりの期間を過ごしてからアフリカに戻ったという考え方である。「現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人の祖先集団が実はユーラシアに住んでいて、それはアフリカから最初に拡散したホモ・エレクトスの子孫だったという可能性だ。このシナリオでは、その後ユーラシアからアフリカへ戻る移住があって、それが、のちに現生人類に進化する集団の始祖となったと考えられる。この説の魅力はその無駄のなさにある。データを説明するために必要なアフリカとユーラシアの間の大規模な移住が1つ少なくてすむのだ。超旧人類集団と、現生人類・デニソワ人・ネアンデルタール人3者の祖先集団はどちらもユーラシア内で生まれたことになり、さらに2回も出アフリカ移住をする必要がなくなる。アフリカへ1回だけ戻って、現生人類との共通系統をそこで確立すればいい」。
「無駄のない理論だからといって、証明されたことにはならない。しかしもっと大事なことがある。多くの系統と多くの混じり合いが明らかになったことで、これまで大半の人が何の疑いも持たずに信じていた、人類の進化の中心地はアフリカだったという大前提が大きく揺らいだ。骨格試料に基づいて考えれば、アフリカが200万年前以前の人類の進化に中心的な役割を果たしたのは間違いない。ホモ属の何百万年も前にアフリカに住んでいた直立歩行の猿人が発見されて以来、それは常識となっている。また、解剖学的に現生人類の特徴を持つ少なくとも30万年前ごろの骨格がアフリカで発見されており、最近5万年の間にアフリカや中東からの拡散があったという遺伝学的な証拠もあるため、そうした現生人類の誕生にアフリカが中心的な役割を演じたのも確かだ。しかし、200万年間と約30万年前の間の期間については、どうなのだろう? この機関の大部分については、アフリカで発見された骨格がユーラシアで発見された骨格に比べて明らかに現生人類に近いわけではない。わたしたちの系統が200万年前と30万年前にアフリカにいたのだから、祖先もずっとアフリカにいたに違いないという考え方が、過去20年にわたって優勢だった。だがユーラシアは豊かで多様な巨大大陸であり、現生人類に至る系統がかなりの期間そこで過ごしてからアフリカに戻ったと考えても、大きな不都合はない」。
「現生人類の系統がアフリカの外に何十万年もの間とどまっていた可能性はあるだろうか? 従来のモデルでは人類の系統は常にアフリカで進化したことになっており、現在の骨格研究や遺伝学のデータを説明するには、少なくとも4回の出アフリカ移住が必要となる。しかし、わたしたちの祖先が180万年前から30万年前までアフリカの外に住んでいたと考えれば、大規模な移住は3回ですむ」というのである。
ホモ・サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人の共通の祖先は、見つかっているのだろうか。「年代から言って妥当な祖先候補の化石が見つかっている。ホモ・エレクトスの出アフリカよりずっと後だが、ホモ・サピエンスの出アフリカより前の時代の化石だ。1907年にドイツのハイデルベルクの近くで見つかった頭蓋骨の大きな骨格は約60万年前のものとされ、現生人類とネアンデルタール人の祖先種である可能性が高いが、いろいろな点から見て、デニソワ人の祖先でもあると考えられる。このホモ・ハイデルベルゲンシスは西ユーラシアの種であると同時にアフリカの種でもあるとみなされるが、東ユーラシアの種とはみなされていない。しかし、アウストラロ(=ユーラシア南部の意)・デニソワ人から得られた遺伝学的証拠は、ホモ・ハイデルベルゲンシス系統が、非常に古い時代に東ユーラシアでも確立していた可能性を示している。デニソワ人の発見が持つ大きな意味の1つは、東ユーラシアが人類の進化の中心的な舞台であり、西洋人がしばしば思い込んでいるような脇役ではないとわかったことだ」。
7万年前の世界には、どういう人類が存在していたのか。「こうして、極めて多様な人類集団のゲノムワイドなデータにアクセスできるようになったわけだが、彼らはいずれも大きな脳を持っていたらしく、またいずれも7万年前より現在に近い時代にまだ生きていた。その人類集団とは現生人類、ネアンデルタール人、シベリアのデニソワ人、アウストラロ・デニソワ人である。ここにもう1つ、今のインドネシアのフローレス島で見つかった小型の人類、『ホビット』(=ホモ・フローレシエンシス)も加えなければならない。初期のホモ・エレクトスの子孫と考えられ、70万年前以前にフローレス島にやって来て、深い海によって隔離状態になった人々だ。これら5つのグループは進化の上で互いに何十万年も隔たっていた。おそらく、当時生きていたグループでまだ発見されていないものもあるだろう。こうしたグループの間の隔たりは、こんにち最も遠い関係にある人類系統、たとえば南アフリカの狩猟採集民サン族に代表される系統とその他すべての系統とが分離して以来の時間よりも長い。7万年前、世界には非常に多様な形態の人類が住んでいたのだ。そうした人々のゲノムの解析がますます増えるにつれ、人類が今よりも遥かに多種多様だった時代を垣間見ることができるようになるだろう」。
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は交配したのだろうか。「わたしたちを研究に駆り立てたのは、ゲノムに残された記録だ。そうした記録が、科学者の推測を裏づけるのではなく、驚くべき発見を生み出している。今では、ネアンデルタール人と現生人類の交雑集団がヨーロッパさらにはユーラシア全土で生きていたこと、その多くはやがて死に絶えたが、一部は生き残ってこんにちの多くの人々の祖先となったことがわかっている。現生人類とネアンデルタール人の系統が分かれた時期もだいたいわかっている。・・・そこで次のような疑問が湧いてくる。ネアンデルタール人はわたしたちの祖先と交配した唯一の旧人類だったのだろうか?」。
「遺伝学的なデータは、旧人類の多くのグループ(=ネアンデルタール人、デニソワ人など)がユーラシアに住み、その一部が現生人類と交配したことを示している。そうなるとどうしても、移住がなぜ常にアフリカから出てユーラシアに入るという向きなのか、時には逆向きの可能性もあったのではなかという疑問が湧く」。
ここで、シベリアのデニソワ洞窟で発見された、もう1つの旧人類が登場する。「ネアンデルタール人とデニソワ人という2つの旧人類集団から採取されたDNAがシークエンシングされており、いずれの場合もそのデータから、現生人類と旧人類とのこれまで知られていなかった交配が確認された。今後発見される旧人類集団のDNAをシークエンシングすれば、まだ知られていない交配がさらに明らかになるかもしれない。そうなっても不思議はないのだ」。
ネアンデルタール人の位置づけについて、興味深いことが書かれている。「ネアンデルタール人が現生人類とは別の種かどうかについては、長らく論争が続いている。一部の専門家はヒト属(ホモ属)の独立した種(ホモ・ネアンデルターレンシス)だと指摘し、また別の専門家は現生人類のサブグループ(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス)だと主張している」。後者の立場に立つと、現生人類はホモ・サピエンス・サピエンスとなる。
「生存している2つの種が別々の種だと指摘する際に根拠としてよく持ち出されるのが、その2つが実際に交配不可能であるという推測だ。ネアンデルタール人と現生人類はうまく交配でき、実際にいろいろな機会に交配していたことが今ではわかっているので、この2つが別の種だという根拠は薄まったように思われる」。このことは、デニソワ人についても言えることだ。
人類進化に関心を持つ者にとっては無視することのできない、いやはや大変な本が出現したものである。