源平時代の武将・畠山重忠の実像に迫る論考・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1369)】
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閑話休題、『中世武士畠山重忠――秩父平氏の嫡流』(清水亮著、吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)は、源平時代の武将・畠山重忠についての論考です。
「畠山重忠の振る舞い・言説に関する史料は多く残されているが、そのほとんどは鎌倉末期に成立した『吾妻鏡』や、『平家物語』諸本の記事である。在世中においても一流の武士としての評価を得ながら(『愚管抄』第六)、北条時政らのフレームアップによって非業の死を遂げた重忠の振る舞い・言説については、『吾妻鏡』編者などによる賛美(曲筆)の可能性が古くから指摘されてきた。本書でも、『吾妻鏡』・『平家物語』諸本に記された重忠の振る舞い・言説の一つ一つを、無前提に事実としない自制を心がけたい」。
重忠の在地領主という位置づけについて。「在地領主としての畠山重忠は、草深い農村で『一所懸命』の地を守る農場主的な存在ではない。郎等たちと連携し、本領とその周囲の勢力圏(軍事的テリトリー)に京都の文化や技術を持ち込む広域支配者である。このような重忠、ひいては畠山氏のあり方は、京都と政治的・文化的に結びついて広域的な支配を実現する、大型の在地領主の姿を体現している。そして、軍事貴族の系譜を引き、京都と密接な関係を保ちながら国衙とも結びつき、本領およびその周辺地域の支配を最優先する畠山重忠・畠山氏のあり方は、軍団としてみるならば『在地系豪族的武士団』というにふさわしい」。
重忠の人物像について。「重忠個人の言説一つ一つの実否はともかく、『吾妻鏡』・『平家物語』諸本などに示された重忠の姿は、武士としての重忠、武士団・在地領主としての畠山氏のあり方をそれなりに投影しているのではないだろうか。要するに、『重忠のような立場・力を持つ武士なら、このような発言、態度はありえるだろう』と当時の人々が考えていたことまでは読み取り得るのではないか、ということである」。
「島津氏・北条義時・同泰時ら御家人社会の人々から、慈円のような寺院社会の人に至るまで、重忠には高い評価を与えている。重忠と同時代を生きた人々は、彼を優れた人物とみなしていたのである。このような同時代人の評価が、人格・膂力・所作ともに優れた人物として重忠を描く『吾妻鏡』・『平家物語』の記事を生み出していったといえるだろう」。都会的でありながら地域支配を最も重視し、誠実さと、秩父平氏の嫡流としての自意識の高さを併せ持った一人の武士・畠山重忠の、そして、その武士団の姿を彷彿とさせる一冊です。