著名な作家たちの味わい深い言い訳の実例集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1513)】
ヤマハギ、アメリカオニアザミ、ハルシャギク(ジャノメソウ、ジャノメギク)、ニガイチゴ、チガヤをカメラに収めました。セイヨウキョウチクトウが白い花、桃色の花を咲かせています。
閑話休題、『すごい言い訳!――二股疑惑をかけられた龍之介、税を誤魔化そうとした漱石』(中川越著、新潮社)は、著名な作家たちの言い訳の実例集です。
「フィアンセに二股疑惑をかけられ命がけで否定した芥川龍之介」は、言い訳というレヴェルを超えて、感動的です。
<夏目さんの方は向うでこっちを何とも思っていない如く こっちも向うを何とも思っていません・・・僕は文ちゃんと約束があったから夏目さんのを断るとか何とか云うのではありません 約束がなくっても、断るのです>。
「大正5年に夏目漱石が亡くなり、その翌年頃から、漱石の長女筆子18歳の結婚話が、噂されるようになりました。その際漱石の門下生の中で、花婿候補ナンバーワンと目されたのが、芥川龍之介でした。しかし、龍之介にはすでにフィアンセがいました。親友山本喜誉司の姪塚本文です。文は龍之介と筆子の噂を聞きつけ不安になり、芥川に手紙を送りました。それに対して龍之介は、上記のように釈明しました。・・・龍之介は以上の説明でもまだ文の不安を拭い去ることはできないだろうと思ったのか、さらに強い覚悟をこう伝えました」。
<文ちゃんを得る為に戦わなければならないとしたら、僕は誰とでも戦うでしょう そうして勝つまではやめないでしょう それ程に僕は文ちゃんを思っています・・・僕は文ちゃんを愛しています 文ちゃんも僕を愛して下さい>。
「この手紙の5か月後、二人は無事結婚にこぎつけることができたのでした」。
「もてはやされることを遠慮した慎重居士 藤沢周平」では、藤沢周平の謙虚さが際立っています。
<私自身作家面するつもりは毛頭ありません。本業のほかに、多少文学にかかわりを持ったということに過ぎないのです>。
「藤沢の手紙というのは、山形新聞に連載コラム『やまがた文学への招待』を執筆していた松坂俊夫からの依頼状に対する返信です。・・・『溟い海』で『オール讀物』新人賞を受賞した藤沢周平に、自分の連載で藤沢を紹介するための許可願いを出したのでした。藤沢はそれに対して上記のように返信しました。このとき藤沢はすでに43歳でしたが、『時期尚早』を理由に遠慮しました。・・・藤沢は、急いで『作家面』して舞い上がることを、心底好みませんでした。実際ゆっくりと着実に歩み、本業だった『日本加工食品新聞』の編集職を辞し、作家を専業としたのは、この手紙の3年後、46歳になってからでした」。
「宛名の誤記の失礼を別の失礼でうまく隠したズルい夏目漱石」では、エクスキューズの達人・漱石の面目躍如です。
<君の名を忘れたのではない。かき違えたのだ失敬>。
「漱石は、よく知る相手なのに、あるときいつものように絵を描いて送ったはがきの宛て先を、『田中俊一様』と書いてしまったことがありました。すると田口(俊一)から、『田中ではありませんよ、田口。お忘れですか』といったふうな軽い抗議が届いたようです。そこで漱石は、またはがきに絵を描いて、添え書きで上記のように言い訳しながら謝りました。『まさか、忘れるはずがないでしょう。ちょっと書き間違えただけですよ。口と中、一本棒があるかないかだから、勢いで、つい・・・。いやいや失敬』――そんなニュアンスの言い訳を伝えたのでした。いわば、大きな失礼を小さな失礼で、おおい隠そうとする手法です」。