遥か遠いところを見ていたくなるような、不思議な小説・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1514)】
カワラヒワが高らかに囀っています。コシアキトンボが飛び回っています。ミシシッピアカミミガメが奇妙な姿勢で休んでいます。ホンコンエンシス(常緑ヤマボウシ)が薄黄緑色の花(正しくは総苞)をびっしりと付けています。ガウラ(ヤマモモソウ、ハクチョウソウ)、オシロイバナ、スイレンをカメラに収めました。因みに、本日の歩数は15,632でした。
閑話休題、『スティル・ライフ』(池澤夏樹著、中公文庫)は、何とも不思議な味わいの小説です。
染色工場でアルバイトをしている「ぼく」は、1カ月前に突然アルバイトを辞めた、ぼくより少し年上らしい佐々井から飲みに誘われます。バーテンが一人で切り盛りしている小さなバーでの会話。「『考えないという手もある。色と同じさ。そこは手が届かない領域だと思って、なりゆきに任せる』。ずいぶん飲んだようだが、頭の芯の方はさわやかに冴えていた。『人の手が届かない部分があるんだよ』と佐々井がもう一度言った。『天使にまかせておいて、人は結果を見るしかない部分。人は星の配置を変えることはできないだろう。おもしろい形の星座を作るわけにはいかないんだ。だから、ぼくたちは安心して並んだ星を見るのさ』」。
「佐々井は不思議な男だった。見た目はぼくと同じようにアルバイトを転々とし、まったく何もしない時期もしばしばあって、そこのところはぼくに似ていた。一週間に十二本の映画を見たと言ったこともあったし、ちょっと旅行と言って出掛け、五日目くらいに帰ったと電話があることもあった(そうして見ると、この時期にもぼくたちはけっこう頻繁に会ったり飲んだりしていたのだ)。旅行は近県で、別に目的もなにもない気まぐれなもののような口調だった。しかし、佐々井にはぼくのように、何かするに値することを探しているという気配はまるでなかった。具体的に何をしているのでもなく、何のマニアでもなく、合えばいつもどことなく理科っぽい話題を話すだけだった。家族とか友人とか、他人のことを口にすることもなかった。女友達の話も出ない。彼は、時おり、ぼくが探しているもの、長い生涯を投入すべき対象を、もう見つけてしまったという印象を与えた。そういうことについてつっこんだことを聞いても、彼はただふらふらしているだけだよと言って、それ以上は話さない。しかし、少なくとも、彼はぼくと違って、ちゃんと世界の全体を見ているように思われた」。
ところが、ある日、佐々井から電話があり、変な話をもちかけられます。「ぼくはその数日間の身辺の変化にただ驚いていた。佐々井はぼくの周辺では最も遠いところを見ている人間だったはずだ。それが突然、おそろしく現実的かつ実務的な顔になった。変化はおもしろかったけれども、まだ違和感が残った。ぼくは遠方を見る佐々井の精神に一種の共感を覚えていたのであって、彼のこのような現実的な面を信頼するのはまた話が別だ。だが、そういう時間を感じる間もなく、ことは速やかに進行していった。佐々井自身が、この仕事を喜んでやっているのではなく、避けられない義務だからさっさと終わらせようという姿勢で熱心になっていることがぼくにはわかった。上手だけれど好きではない仕事のようだった」。
二人で取り組んだ仕事が3カ月後に終了し、佐々井はふらりとぼくのもとを去っていきます。
仕事が順調に進んでいた、ある日、ぼくが、これは誰のための、何のための仕事かと尋ねたところ、佐々井は驚くべきことを告白したのです。
読み終わった後は、遥か遠いところを見ていたくなるような、不思議な小説です。