あのロビンソン・クルーソーも黒人奴隷貿易に手を染めていたとは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1645)】
鳴き声を耳にした女房が、オナガよ、と声を上げました。20羽ほどの群れです。色づいたカツラの葉から醤油のような香りが漂ってきます。因みに、本日の歩数は11,654でした。
閑話休題、『奴隷船の世界史』(布留川正博著、岩波新書)は、{近代世界と奴隷貿易}、「奴隷船を動かした者たち」、「奴隷貿易廃止への道」、「長き道のり――奴隷制廃止から現代へ」の各章で構成されているが、私にとってとりわけ勉強になったのは、「近代世界と奴隷貿易」によって、奴隷制の世界史的意味を把握できたことです。
私の敬愛する、あのロビンソン・クルーソーも黒人奴隷貿易に手を染めていたという指摘には、正直言って、腰が抜けるほど、びっくりしました。「ロビンソン・クルーソーの物語は、当時、海ないし海外には富を得るための種がごろごろと転がっていたことを教えてくれるのである。そのなかでも大西洋奴隷貿易は、利益を生みだすもっとも重要度の高い貿易の一つであった。18世紀のイギリス商人マラキー・ポスレスウェイトは、奴隷貿易が『全商業の根源であり、基礎であり、全装置を動かす主ぜんまいに相当する』と述べている。ロビンソン自身も、失敗はしたものの、奴隷貿易の可能性を認識していたのである」。
「ところで、奴隷貿易は通常『三角貿易』の構造をもっていた。奴隷船は主としてヨーロッパの各港から、取引に使う商品群を積んでアフリカに向かう(第1辺)。アフリカの貿易拠点では、これら商品群と交換に奴隷が購入され、船に積み込まれ、大西洋を渡って――これを『中間航路』という――カリブ海諸島(西インド諸島)を含む南北アメリカの各地に上陸する(第2辺)。ここで奴隷が砂糖やコーヒー、綿花などの植民地物産と交換され、ヨーロッパの本国に向かい、売却される(第3辺)」。
この三角貿易の重要性に注目し、それが莫大な利益をあげたと喝破したのが、エリック・ウィリアムズである。彼は、その主著『資本主義と奴隷制』(1944年)のなかで、三角貿易はイギリスの産業にとって一石三鳥のはたらきをしたと述べている。すなわち、イギリス製品にとっての市場を提供し、イギリス人その他が欲する物産を生産し、また、産業革命の資金需要をまかなう資本蓄積の主要な源泉となったのである。資本主義発展の中心には奴隷貿易および奴隷制があったと、彼は強調した」。
「大西洋奴隷貿易に関する研究で金字塔を打ち立てたのは、アメリカの歴史家フィリップ・D・カーティンの『大西洋奴隷貿易――その統計的研究』(1969年)である。彼はこの研究書で、大西洋奴隷貿易に関する推算値を算出した」。
その後の多くの研究者による研究を踏まえ、「奴隷貿易航海が組織された主要20港を出航した船舶で輸送されたアフリカ人奴隷数(1501~1867年)」は、合計8,356,000人と算定されています。なお、航海中の奴隷死亡率は14.5%と推算されています。