始めも終わりもない「砂の本」の虜となった男・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1663)】
ツワブキの花、ボケの花と実、ウンシュウミカン(温州蜜柑)、シークワーサー(ヒラミレモン)、フユウガキ(富有柿)の実をカメラに収めました。シークワーサーの写真を撮っていたら、その家の主が、少し持っていきませんかともぎって、女房に手渡してくれました。早くもクリスマス・ツリーが飾られています。因みに、本日の歩数は10,622でした。
閑話休題、短篇集『砂の本』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス著、篠田一士訳、集英社文庫)に収められている『砂の本』は、いかにもボルヘスらしい、不思議な感覚に襲われる、そして想像力を掻き立てられる作品です。
「数か月前になろうか、ある日暮れ方、戸口をたたく音が聞えた。あけると、見知らぬ人がはいってきた。・・・彼はスーツケースをあけると、それをテーブルのうえに置いた。布製の八つ折り判の本だった。多くの人の手を経てきたものであることは疑いない。仔細にあらためてみる。と、まずその異常な重さに驚いた。・・・わたしは何気なくその本を開いた。知らない文字だった。・・・見知らぬ男がこう言ったのはその時だ。『それをよくごらんなさい。もう二度と見られませんよ』。声にはでないが、その断言の仕方には一種の脅迫があった。その場所をよく心にとめて、わたしは本を閉じた。すぐさま、また本を開いた。一枚一枚、あの錨の(小さな挿)絵を探したが、だめだった」。
何と、この「砂の本」には、砂と同じように始めも終わりもないのです。
「(いろいろなことを話し合い)その男が帰ったときは、もう夜になっていた。その後二度と彼には会わないし、彼の名前も知らない。『砂の本』は、もとウィクリフ(訳聖書)のあった場所にしまおうと考えたが、結局、半端物の『千夜一夜物語』のうしろにかくすことにした。・・・結局、わたしはその本のとりことなって、ほとんど家から出なかった」。
「夏が過ぎ去る頃、その本は怪物だと気づいた。それを両眼で知覚し、爪ともども十本の指で蝕知しているこのわたしも、劣らず怪物じみているのだと考えたが、どうにもならなかった。それは悪夢の産物、真実を傷つけ、おとしめる淫らな物体だと感じられた」。
「退職するまえ、わたしはメキシコ通りの国立図書館に勤めていて、そこには九十万冊の本があった。・・・館員の不注意につけこんで、『砂の本』を、湿めった棚のひとつにかくした。・・・これで少しは気が楽になった。しかし、いま、わたしはメキシコ通りを通るのもいやだ」と、結ばれています。