榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

俳画がこんなに味わい深いものとは、ついぞ知らなかったなあ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1769)】

【amazon 『俳画のすすめ』 カスタマーレビュー 2020年2月17日】 情熱的読書人間のないしょ話(1769)

カイツブリは潜って餌を捕った後、思いがけない所に浮かび上がるので、見ていて飽きません。カルガモたちが陸に上がっています。コイが大きな口を開けて近づいてきました。因みに、本日の歩数は10,099でした。

閑話休題、『俳画のすすめ――日本の美しい心 四季折々豊かな日々をおくるために(改訂新版』(豊島宗七著、秀作社出版)には、俳画の魅力と愉しみが溢れています。

「俳画は俳諧を母胎にして誕生した日本人の美しい心を画に表現したもので、日本の純粋な芸術(国画)である。俳画の祖は江戸中期の俳人・画家、与謝蕪村(1716~1783年)。蕪村は俳・書・画にすぐれ、『俳画は蕪村に始まり、蕪村に完成した』といわれるほどすぐれた俳画を多く描いた」。

<風寒し破れ障子の神無月――山崎宗鑑>。「唯一の絵である茅葺きらしき粗末な建物とその中で寒そうに座っている自身を極端に左隅に配し、しかも建物は一部だけを描いている。その自身に向かって、賛の書を『風寒し 破れ 障子の 神無月』と区切り高低をつけて、風が吹きつけてくるように配置している。・・・句の『破れ障子』からその赤貧ぶりがしのばれるが、そういうなかにあっても風流をたのしむ俳人の心情が実によく表現された作品である」。

<山吹や宇治の焙炉のにほふ時――松尾芭蕉>。「左やや中央から山吹の一枝を描いているだけだが、賛の句を添えたことによって、上下の空間に宇治茶の香りが漂い出した。・・・今頃は山吹の咲いている辺りには、宇治茶の焙炉のあの芳ばしい香りが漂っていることだろうなあと、思いを馳せているのである。わずか山吹一枝の世界が作者の豊かな想像力によって宇治茶の里にまで広がった」。

<ばけそふな(傘)借(か)す寺のしぐれかな――与謝蕪村>。蕪村さん、「借す」は「貸す」と書くべきでは(笑)。「(山深い)寺に招かれて帰ろうという時に時雨がきて傘を借りたが、その傘が古ぼけた、今にも化けそうな傘であった。句はその俳趣を詠んだもの。時雨は冬の季語だから、その山寺の寂しさがひときわ目に浮かぶではないか。その(番)傘の先のほうを暈して竹骨の墨線をゆらゆらと曲げて描き、まさに化けそうな傘である。句の傘の字を絵で代用したのもユニークだ」。

<ちる花を屁ともおもはぬ御皃かな――小林一茶>。「花といえば桜。『御皃』は面壁九年の達磨のお顔。厳しい修行中の達磨には、散る花も眼中にはないように見えるというのである、達磨の法衣の線はただ一本調子の線ではなく、遅速、太細、濃淡、かすれなどで表現されており、一茶の意思がよく表れている」。

<あの月が欲しくはやろふ取て行け――仙厓>。「天上の月ばかり貪って眺めていると、掌中の珠まで失ってしまうぞ、という意味。これ(禅語)を平明な俳諧にして民衆に説いたものである。人物を布袋に描いてあるが、これは自像であろう。没骨と線描を巧みに使ってユーモアのある作品となっている。『俗語の仙厓』と呼ばれる所以である」。

<世の中にまじらぬとにはあらねどもひとりあそびぞわれはまされる――良寛>。「良寛は禅僧で賛も俳句ではないが、趣があり俳画として取り上げた。・・・画は草庵(五合庵であろう)でひとり行灯の明りを頼りに読書にふける自身を、簡潔な墨線で描いているが、名筆とうたわれる流れるような賛の書と調和して、孤高の良寛像となっている。良寛の雪深い五合庵での清貧の生活を知っていれば、本画をより深く鑑賞することができるだろう。良寛が画も自ら描いた珍しいもので、素朴な味わいがある」。