思わず、一句、捻りたくなる俳句の入門書・・・【情熱的読書人間のないしょ話(833)】
農家の棚に、ゴーヤーの実がたくさんぶら下がっています。サルスベリが白い花を咲かせています。カンナの朱色の花、黄色の花は、真夏に相応しい鮮やかさです。因みに、本日の歩数は10,870でした。
閑話休題、『はじめてであう俳句の本 【夏の句】』(桜井信夫編著、三谷靭彦絵、あすなろ書房。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)は、中学生向けに書かれた俳句の入門書です。
●夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡(松尾芭蕉)
「あたり一面に、夏草がいきおいよくしげっています。けれども、このあたりは、むかし、いさましい武士たちが、それぞれの主君のため敵味方となって、たたかいをまじえた場所なのです。勝利をゆめみてたてこもった城も、いま、あとかたなく、てがらをたてた敵味方ともにほろびてしまい、ただ青あおと草の原がひろがるばかりです」。
「旅のあと5年をかけて(『おくのほそ道』の)文章をねり直したり句を改作するなど、旅行記録そのままではなく文学としての結晶度を高めるために力をそそぎ、芭蕉みずからの死を迎えるまえになってようやく決定稿を成した」。芭蕉にして、完成度を高めるために、これほど推敲を繰り返したことに、感動を覚えます。
●閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉の声(松尾芭蕉)
「夏の日がくれないあいだに、立石寺という山寺をたずねました。大きな岩をうちかさねたような山です。岩にはなめらかにこけがはえ、木々がしげり、山上のお堂には、人かげもありません。ああ、なんというしずかさでしょう。ふと気がつくと、セミのなき声だけがきこえます。それがまるで、こけむした岩にしみとおっていくように、かえってしずかさをふかめるように、きこえるのです。わたしのこころも、すみきって、大自然のなかにとけこんでゆくような気がするのです」。1,070段の石段を上り切って奥の院に達した時の充実感を懐かしく思い出します。
「『閑さや』の句は、『山寺や石(いわ)にしみつく蝉の声』『さびしさや岩にしみ込む蝉の声』の初案・再案をへて周知の句へと改作された」。この執念!
●さみだれや 大河を前に 家二軒(与謝蕪村)
「梅雨の長雨がふりつづいています。大きな川も水かさをまして、濁流となり、いまにも岸をおかしそうです。そんな川岸のほとりに、ぽつりと二軒の家があるのです。ひくくたれこめた雲、たえまない雨、あふれそうな大川、そして、岸べの二軒だけの家・・・うすぐらく、あやしく、おそろしいような風景です」。想像力を掻き立てられる一句です。
●やれ打つな はへ(え)が手をすり 足をする(小林一茶)
「目のまえにとまったハエが、まえ足(手)をこすったり、うしろ足をこすったりと、おもしろい動作をはじめました。ふふふ、ハエのやつ、身づくろいをしているのやら、こちらに向かって命ごいをしているのやら、まあ、打たずにおいてやろうかね」。生涯に亘り、厳しい実生活を送らざるを得なかった一茶のことを思うと、複雑な気持ちになります。
●もらひ(い)来る 茶わんの中の 金魚かな(内藤鳴雪)
「日ざしがてりつける夏の午後です。近所の知りあいの家にたちよりました。はなしのとちゅうで、ふと目について、『おや、金魚を買ったのですか。見るからにすずしそうで、いいですねえ』。『おのぞみなら、一ぴきさしあげましょう』。てきとうな入れ物がなくて、なんと茶わんに入れて、もちかえってきました。うれしいのですが、さて、どんなうつわに、うつしてやったらいいのか。しばらくは、茶わんの中で金魚がおよいでいるのを、ながめているばかりなのです。――茶わんの白に、色あざやかな金魚ですから、そのようすが目にうかびます。入れ物が茶わんだということの、おもいがけないおもしろさもあります」。子供の頃、「きんぎょーっ、きんぎょ」と声を張り上げながらやって来た金魚売りの声が甦ってきました。
●分け入つ(っ)ても 分け入つ(っ)ても 青い山(種田山頭火)
「初夏の山は、新しいみどりにおおわれています。青葉若葉の木々のなかをくぐりぬけて山道をたどるのです。山の高みへでて、はるかにのぞめば、まだまだ青い山脈がいくえにもひろがっています。また道をくだれば、しげる青葉のなか、どこまでも、どこまでも道はつづきます。ひたすらに歩くだけです。ただひとりのさびしさをのりこえて、人生のさとりをもとめて歩きつづけるのです。――この句は、自由律俳句です」。山頭火の自由律俳句は魅力的ですが、他の俳人のあまりに度が過ぎた自由律は最早、俳句とは呼べないというのが、私の正直な感想です。
●日焼け顔 見合ひ(い)てうまし 氷水(水原秋桜子)
「空は晴れ、日ざしはつよく、夏もまっさかりです。こんなとき、かわいたのどをうるおし、あせをしずめてくれるのが、かき氷を山のようにうつわにもった氷水です。氷屋の店さきで、友だちどうし、わかい男女のふたりが、氷水をたべています。『おいしい』『体のしんまでつめたくなるね』と、たがいに日やけした顔を見あわせ、にっこりとたのしんでいて、ここにだけ、すずしさが生まれているのです」。青春はいいですね。
●一点の 偽りもなく 青田かな(山口誓子)
「田んぼのイネが、すっかり成長して、根もとの水が見えないほどになりました。見わたすかぎりいちめんに、田んぼがひろがっています。夏の風がふきわたって、青あおとしげるイネの葉さきが、波のようにゆれうごくと、まるで海のようです。その青あおとつらなる田んぼのなかには、ただの一ところも、色のちがうところがないのです。てりつける日ざしのもと、みごとな、青いちめんの風景です」。一面に広がる青々とした田んぼに風が吹く――私の最も好きな光景ですが、その開放感を五・七・五に凝縮した誓子は、さすがですね。
私も久しぶりに一句、捻りたくなってしまいました。青春は 遠くなりけり 蚊遣り豚。