「一炊の夢(邯鄲の夢、黄梁の夢)」と、これを逆転させた「反黄梁の夢」・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1798)】
あちこちで、コブシが咲いています。コブシは花の付け根に1枚の葉が付いているので、似ているハクモクレンと見分けることができます。ハクモクレン、シデコブシ、ユキヤナギをカメラに収めました。因みに、本日の歩数は10,737でした。【このユキヤナギは、2021年3月11日、千葉大・柏の葉キャンパスの園芸学の三位正洋先生(名誉教授)に尋ね、ユキヤナギの ‘フジノ・ピンク’という品種と分かりました】
閑話休題、『中国奇想小説集――古今異界万華鏡』(井波律子編訳、平凡社)には、中国の六朝、唐代、宋代、明代、清代の奇想小説26篇が収められています。
とりわけ興味を惹かれたのは、唐代の『枕中記』と清代の『欲望の悪夢』(原題『反黄梁』)です。
『枕中記』では、田んぼに行く途中の貧乏書生・盧生が、邯鄲へ向かう途上の宿屋で一休みしていた道士から借りた枕の中に入り込み、数十年に亘る栄枯盛衰を味わい尽くします。ところが、はたと目が覚めると、現実には、彼が眠る前に宿屋の主人が蒸していた黄梁飯もまだでき上っていません。盧生は、この不思議な体験によって、世の無常と欲望の空しさを痛感するという、「一炊の夢」、「邯鄲の夢」、「黄梁の夢」として知られている話です。
私の知っている「一炊の夢」の話と、この原典とでは、細かい点でいろいろ異同があることに驚かされました。
『反黄梁』は、『枕中記』を踏まえつつ、その発想を逆転させた作品です。高級官僚の某が、贅沢な悩みで鬱々としていた時、突如、出現した道士に導かれるまま異界に入り込み、困窮家庭の赤ん坊として転生し、浮世の辛酸をさんざん嘗め尽くす羽目に陥ります。高級官僚の立場に戻っても、一族もろとも死刑にされそうになります。そこで某ははたと夢から覚めるが、彼が眠り込む前に道士が炊き始めた黄梁飯はまだ炊き上がっていません。夢の中で、苦しいどん底暮らしを経験し、何度も恐怖を味わった某は、欲望を無限に膨脹させることの愚かしさを痛感するという話です。
編訳者の井波律子が、こう解説しています。「この『欲望の悪夢』は、貧乏書生が夢のなかで転変を繰り返しつつ栄耀栄華に包まれた生涯を送ったあげく、世の無常を悟るのとは逆に、名声と富に恵まれながら、さらに欲望を膨らませた者が、夢のなかで貧窮と恐怖を味わい尽くした結果、これまた世の無常を悟るに至る、というふうに展開される。まさに、『枕中記』の『黄梁の夢』を逆転させた『反黄梁の夢』の世界である」。
もし自由に選べるのならば、高級官僚・某の夢でなく、盧生の夢を味わいたいと考えている不謹慎な私です。