「保守化」が指摘される若者たちは、いったい、どうなっているのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1808)】
小魚を捕らえたコサギは、目先が桃色の婚姻色になっています。採食中のコガモの雄、地上で採食中のマガモのカップル、水生植物を採食中のオオバン、採食中のコブハクチョウをカメラに収めました。因みに、本日の歩数は10,400でした。
閑話休題、現今、「保守化」が指摘されている若者たちのことが気に懸かっていたので、『若者は社会を変えられるか?』(中西新太郎著、かもがわ出版)を手にしました。
現在の政治情勢が分析されています。「(自民党)保守政治にたいする革新派・進歩主義の対抗というこれまでの構図には当てはまらない特徴がある。保守政治の変質が対抗図式の変化をもたらしたからである。従来の保守政治(自民党政治)は、実質はどうあれ、民主主義という統治形式に従う体裁をとっていた。ところが安倍自民党政権は、この体裁を捨て始めており、政権の意向を通すために適法性さえも無視するようになっている。自民党を旧来のイメージのままの保守政党とみなす感覚は依然として強いが、そのイメージはいまや実態と大きく乖離しつつある。いわゆるモリカケ疑惑から最近明るみに出た統計偽装にいたるまで、数々の『失態』が示す官僚機構の劣化、時の権力とのあられもない癒着もまた、保守政治の変質と退嬰を裏づけている」。
若者たちの心理、行動は、このように考察されています。「将来の社会像についてみると、明るい見通しを持つ若者は少数であることがわかる。自分の生活についても、経済的成功や社会的地位の上昇を求めるよりも、家族や親しい人々とのんびり暮らす望みの方がずっと強い。立身出世主義が優勢だった時代ははっきりと過ぎ去った。シューカツを何とか成功させたいのも、ブラック企業を避けたいのも、『成功を収めよう』という志向ゆえではなく、他の人と同様に普通に生きてゆきたいと願うからである」。
「そんな風に感じさせる背景に、普通に働き暮らすことすら容易でないきびしい現実があるのは言うまでもない。ひとつ間違えば貧困にのみこまれ浮き上がれない不安は、若年層に広く共有されていて、そんな心配がないと言える者は決して多数派ではない。ただし、肝心なのは、そうした不安が、『だからがんばって(競争に勝って)成功するのだ』という上昇志向につながってはいない点だろう。何としても豊かさにしがみつこうという『ハングリー精神』が強まるのではなく、たとえ未来に希望が持てなくとも、せめて身の周りの平穏な暮らし、無理せずにすむ働き方くらいは大切にしたい――『普通に生きてゆく』望みとはそういう意味である」。
そういう若者たちは、社会を変えられるのでしょうか。「社会の現状にたいする忌避感は社会を変える構想や具体的な行動に結びつかない――そういう評価を下すのはリアルな認識とは言えない。現存の社会システムや社会秩序を組みかえようとする、あるいは事実上組みかえる効果を持つ、さまざまな分野での構想、プログラムに若者たちが参加しているからである。たとえば、子どもの貧困を克服するための学習支援事業には数多くの若者たちがかかわっているし、社会的引きこもり舎の支援でも同様だ。社会的企業や事業型NPOに加わり、環境保全事業や地域コミュニティ、地域経済の再生にとりくむ若者たちのすがたもある」。
「自分が関心を持ち必要や意義を感じとれる課題に自発的に参加することは、それ自体がすでに社会的・政治的な性格を帯びている。その課題が政治問題であるかどうかを問わず、社会に呼びかける活動であり指示や命令によらず自分たちで考え決める活動だという点で、社会性、政治性を帯びているのだ」と、著者は、希望を失ってはいません。少しばかり、ホッとしました。