榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

本書のおかげで、ダーウィンの進化論がすんなりと理解できた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2003)】

【読書クラブ 本好きですか? 2020年10月8日号】 情熱的読書人間ののないしょ話(2003)

ナマズの仲間のセイルフィン・プレコが大きな口を開けています。

閑話休題、『ダーウィン 種の起源――未来へつづく進化論』(長谷川眞理子著、NHK出版・NHK「100分de名著」ブックス)を読めば、ダーウィンの『種の起源』のポイントを頭に入れることができます。

「残念なことには、『生存競争と自然淘汰の中で生物は徐々に変化していく』というダーウィンの考え方を『弱肉強食の論理』だと思っている人が非常に多いのです。なかには、ナチス・ドイツが提唱した優生思想(ユダヤ人差別)と進化論を結びつけて、人種差別を助長する論理だと勘違いする人までいる始末です。これでは、ダーウィンが浮かばれません。『種の起源』をじっくり読んでいけば、それらの見方が表層だけをとらえた、とんでもない誤解であることがわかるはずです。ダーウィンは決して弱者を排除しようとしていたわけではないし、戦いを肯定していたわけでもなく、生物に関する科学的な法則を見つけようとしていました。逆に彼は、価値観という点では人種差別、奴隷制度の反対論者で、ミミズであろうともヒトであろうとも、すべての生き物は、上も下もなく平等であり、生き物は多様性があるからこそ素晴らしい――と考えていました」。

著者は、ダーウィンの理論を、このようにまとめています。「生物とは時間とともに変化していくものであり、今地球上に見られる何百万という種は、すべて最初に出現した1つの生き物から変化したものである。種の集団のなかではつねに変異というものが起こり、その変異が生存にとって有利だった場合は、変異は次の世代に引き継がれ、やがてそれが固定化されて別の種がつくられていくことになる。現在、この世に存在する生物はすべてそうした進化の過程のなかで生まれ、環境に適応しているのである」。

「『種の起源』が掛かれた時代は、オーストリアの植物学者グレゴール・ヨハン・メンデルが、エンドウマメの研究によって遺伝の法則を明らかにしつつあった頃とちょうど重なるのですが、メンデルの法則が正当に評価されるようになったのはずっと後のことで、ダーウィンはまだ遺伝の法則を知りませんでした。もし、ダーウィンがメンデルの研究を知っていたなら『もっと早くに教えてほしかった』と、地団駄を踏んでくやしがったに違いありません」。

「現在では、(木村資生の)中立進化論はダーウィン説を否定するものではなく、進化は、中立進化と自然淘汰による適応進化の2つのプロセスからなると考えられています。たしかに、DNAに蓄積される大部分の変異は、有利でも不利でもない中立的なものがほとんどであるのは事実です。しかし、それは分子レベルから見た場合においてであり、わずかに生存に有利な変異は形態などのマクロなレベルでの進化に寄与していて、そこにはやはり自然淘汰が働いている、というのが現在の認識です。ガラパゴス・フィンチの例のように、自然淘汰の詳細がわかっている現象もたくさんあります。変異が広まるには『運』と、まれに起こる『自然淘汰』の組み合わせが必要である、というのが現在の進化に対する考え方の主流です」。

「彼(ダーウィン)の理論は、簡単に言うと『変異』『生存競争』『自然淘汰』の3つのキーワードで説明が可能です。まず、生き物にはさまざまな『変異』というものが生じます。その変異のなかに他の個体よりも生存や繁殖に有利なものがあった場合は、『生存競争』のなかでその個体が生き延びて繁殖し、変異は子孫へと受け継がれます。そして環境に有利な個体は、不利な個体よりも多くの子を残すという『自然淘汰』を何百万年、何千万年も繰り返すなかで変異はどんどん蓄積され、もともとの個体群とは違った生き物が誕生していく――このプロセスが進化です」。

「進化とは、決して上を目指す『進歩』などではなく、異なる環境に適したさまざまな生き物を生み出す、枝分かれの歴史です。こうした枝分かれがなぜ生じたかは、変異→生存競争→自然淘汰のプロセスを知ることで見えてくるかと思います」。

「最近の分子生物学的な発見のなかで非常に重要だと考えられるのは、エピジェネティックな変化です。エピジェネティクスとは、遺伝子そのものに変化はなくても、生まれてからの生活環境からの刺激によって、ある遺伝子に修飾がつき、その遺伝子が働かないようにされることがある、ということを指しています。ある遺伝子を読み始めさせるプロモーター部分にメチル基がつくことをメチル化と言います。メチル化が起こると、その先は読まれなくなり、従って、その遺伝子はあるにもかかわらず、その効果が発現しません。・・・遺伝子があるにもかかわらず、その遺伝子の持ち主の個体がさらされた環境刺激によって、その遺伝子が働かないこともある、ということです。・・・このような、環境刺激による遺伝子の修飾を、エピジェネティックな変化と呼ぶわけですが、これは、獲得形質の遺伝でしょうか? このような現象の発見によって、ラマルクの考えを復活させよう、または、ラマルクもまんざら間違っていたわけではない、と持ち上げようとする見方もあります。しかし、私は、これは獲得形質の遺伝ではないし、ラマルクの考えをこれで救済しようというのは、少し的外れだと思っています。いずれにせよ、エピジェネティクスの詳細は、これからの遺伝子の解明に関する重要な分野となるに違いありません」。

私は、ダーウィンの進化論の基本骨格は揺るがないと考えているが、中立進化論との折り合いをどうつけたらよいのか、エピジェネティクスはラマルクの理論の復活を意味するのか――の2点が悩みの種でした。この悩みを見事に解消してくれた本書に心より感謝しています。