榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ダーウィンの陰謀によって消された男・・・【リーダーのための読書論(18)】

【医薬経済 2008年9月1日号】 リーダーのための読書論(18)

画期的な自然淘汰説を打ち出したダーウィン進化論が世に広く知られ、大きな論議を巻き起こす契機となったのは、1859年に出版されたチャールズ・ダーウィン著の『種の起源』であった。

その前年の6月、過去20年取り組んできた進化理論をなかなか完成できずに苦悩していたダーウィンのもとに、マレー諸島の若き無名の博物(生物)学者、アルフレッド・ウォレスから一編の論文が送られてきた。何と、それには「自然淘汰説による進化論」が完璧かつ明晰に記されていたのである。ダーウィンの驚きと、突然出現したライヴァルに先を越されてしまったという落胆は、いかばかりであったか。

そして2週間後、権威あるリンネ学会で、ダーウィンとウォレスの自然淘汰説が同時に発表され、その翌年には、慌ただしく『種の起源』が刊行されたのである。ウォレスの論文を見てからのダーウィンに何が起こったのか。

ダーウィンに消された男』(アーノルド・C・ブラックマン著、羽田節子、新妻昭夫訳、朝日選書)は、ダーウィンを危機に陥れた2週間を、資料と推理により克明に再現するとともに、ウォレスという忘れられた天才の全貌を明らかにした興味深い記録である。

ダーウィンとウォレスの置かれた環境は何から何まで対照的であった。ダーウィンは英国の上流階級の一員であり、祖父は医師・学者、父は医師であった。妻は、あの陶磁器で有名なウェッジウッド家の娘であった。定職を持たなくとも、好きな学問に没頭できる財産に恵まれていた。『ビーグル号航海記』の著者として知られる著名な博物学者であった。さらに、当代一流の学者たちに囲まれていた。一方、ウォレスは英国の下層階級出身で、学歴もなく、アマゾンやマレー諸島のジャングルで珍しい生物を採集し、その売り上げで生計を立てていた。その傍ら進化の謎に挑戦し続けた、ダーウィンより14歳下の名も無き研究者に過ぎなかった。そして、『ビーグル号航海記』の愛読者であり、ダーウィンを学者として尊敬していたからこそ、自分の到達した研究成果をまとめた論文をダーウィンに送ったのである。

ウォレスの驚くべき論文を受け取り、うろたえたダーウィンは、親友の地質学者ライエルと植物学者フッカーに助けを求める。有力な学者である2人が考え出したのは、ロンドンで開催される直近のリンネ学会で、ウォレスの論文とダーウィンの要約を同時に発表するという妙案であった。しかも、ウォレスがロンドンから遠いマレー諸島にいるのをいいことに、表面的には同時という体裁をとりながら、ダーウィンの極簡単な要約を先に紹介し、ウォレスのきちんと完成された論文はその後に読み上げたのである。このことによって、ダーウィンの優先権が認められ、本来は「ウォレス進化論」と呼ばれるべき自然淘汰説は「ダーウィン進化論」となってしまい、ウォレスはダーウィンの共同発見者という副次的な立場に追い落とされてしまったのである。

その上、この3人組はこの陰謀が露顕しないように、証拠となりかねないこの時期にやり取りされたウォレスやダーウィンの手紙などを消滅させるという隠蔽工作まで行ったのである。著者がこの欠落した部分の真実を追及するくだりは、正にシャーロック・ホームズ張りの鮮やかさで、手に汗を握ってしまう。それにしても、ウォレスの何という爽やかな生き方よ。