榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ダーウィン進化論、中立説、今西進化論の正否を問う・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1575)】

【amazon 『進化論はいかに進化したか』 カスタマーレビュー 2019年8月10日】 情熱的読書人間のないしょ話(1575)

千葉・流山の流山おおたかの森ショッピング・センターで開催中の「カブトムシ&クワガタ展」で、世界のカブトムシ、クワガタ――ヘラクレスオオカブト、ネプチューンオオカブト、サタンオオカブト、アトラスオオカブト、グラントシロカブト、タランドゥスオオツヤクワガタ、ニジイロクワガタ――を観察することができました。先日、何百羽というムクドリがけたたましい鳴き声を響かせながら集っていたケヤキの大木は、丸刈りにされています。今季初めて、ツクツクボウシの鳴き声を耳にしました。その木の下で暫く粘ったが、撮影できず。因みに、本日の歩数は10,935でした。

閑話休題、『進化論はいかに進化したか』(更科功著、新潮選書)の読みどころは、3つあります。

第1は、チャールズ・ダーウィンが提唱した進化論が誤解されているのはなぜかということ。

「ダーウィンが『種の起源』を出版したのは1859年だから、日本でいえば江戸時代だ。また、ネオダーウィニズムと呼ばれる説がある。ネオダーウィニズムにはいくつかの意味があるが、たいていは遺伝学とダーウィンの進化論を合わせた説を指す。このネオダーウィニズムが形を整えたのは1940年頃だから、昭和時代の初期だ。こんな昔の学説が、そのままの形で今日まで生き残っているわけがない。ところが、ダーウィンの進化論やネオダーウィニズムが、今日の進化学だという誤解は、最近出版された本などをみても、かなり広まっているようだ」。

「現在の進化学は、ダーウィンの進化論とは大きく異なっている。これは、進化学が大きく進歩したということでもあるが、もともとのダーウィンの進化論にも原因がある。ダーウィンの言ったことには、ものすごく重要なことが含まれている一方で、たくさんの間違いもある。・・・そこで本書では、ダーウィンの主張の何が正しくてどこが間違いかを、整理してみた」。

「『種の起源』の主張は、次の3つにまとめられる。①多くの証拠を挙げて、生物が進化することを示したこと。②進化のメカニズムとして自然選択を提唱してこと。③進化のプロセスとして分岐進化を提唱したこと。・・・自然現象としての自然選択を進化のメカニズムとしたこと、分岐進化を提唱したこと、そして何よりも科学的な進化の研究をスタートさせたことは、ダーウィンの不朽の業績といえるだろう」。

「ダーウィンが『生物が進化する』と言ったとき、そこには『進歩する』とか『良くなる』といった方向性は含まれていないのだ。『進化』とは、単に『(遺伝する形質が)変化』することに過ぎないのである。そしてこれは、現在の進化生物学の考えでもある」。

「ダーウィンは、自然選択を進化の原動力と考えていた。つまり種を変化させるように働くと考えたのだ。これは今でいうところの方向性選択に当たる。現在では自然選択は、安定化選択として働く場合も方向性選択として働く場合も、両方あることが知られている。平均的な形質の個体が有利なときは安定化選択が、極端な形質の個体が有利なときは方向性選択が働くのである。そして実際に自然選択が働くときには、方向性選択よりも安定化選択の方が多いと考えられる」。

「ダーウィンの考えでも、現在の進化生物学でも、進化のメカニズムとして考えられているのは自然選択だけではない。しかしダーウィニズムといったときには、進化のメカニズムとしては、ほぼ自然選択しか考えていない。ダーウィニズムはダーウィンの考えとは違うし、もちろん現在の進化生物学とも違うものだ」。

「数多くの研究によって自然選択が進化の重要なメカニズムであることが実証されてきた。・・・ダーウィニズムやネオダーウィニズムはダーウィンの考えではない。さらに科学は日々進歩していくものである。総合説(=自然選択説+遺伝学)という意味でのネオダーウィニズムも、現在の進化生物学とは明らかに異なるものだ」。

ダーウィン進化論、ダーウィニズム、ネオダーウィニズムの違いがよく分かりました。

第2は、木村資生が提唱した中立説は正しいのか否かということ。

「タンパク質のアミノ酸配列やDNAの塩基配列が調べられるようになると、これらの分子の進化には、自然選択よりも遺伝的浮動の方が強く働いていることがわかってきた。それを受けて、木村資生は1968年に『分子レベルの進化的変化の大部分は、自然選択に中立またはほぼ中立な突然変異を起こした遺伝子の、遺伝的浮動によって起こる』という『分子進化の中立説』を主張した」。

「中立説が正しいこと、つまり現実にうまく合っていることは、進化速度や多形のデータからみて疑いない。でも、何となくすっきりしない。自然選択による進化よりも、偶然による進化の方が多いなんて本当だろうか」。

「突然変異を単純化して3つに分けてみる。有益な突然変異と、中立な突然変異と、有害な突然変異だ。すでに生物の体はかなりうまくできているので、突然変異が起きたからといって、それ以上よくなることはほとんどない。したがって、有益な突然変異はほとんど起こらない。一方、有害な突然変異はしばしば起きる。しかし、そういう突然変異が起きた個体は、生きていくにも子孫を残すにも不利なので、たいてい集団から消えていく。したがって、有害な突然変異はほとんど残らない。そのため、子孫に残るような突然変異としては中立なものが多くなる。中立な突然変異には自然選択は働かないが、遺伝的浮動は働く。そこで、分子レベルの進化的変化の大部分は、自然選択に中立またはほぼ中立な突然変異となるのである。この議論は基本的には正しい。しかし、単純化しているので、現実にぴったり合っているわけではない」。

「自然選択と遺伝的浮動は、進化という車の両輪である。何と言っても生物の構造や機能は素晴らしい。たとえば、空を飛ぶ翼は感嘆すべきものだが、それを作れるのは自然選択だけである。しかし一方で、自然選択では説明できないこともたくさんある。生物は自然選択よりも遺伝的浮動によって進化する場合が多いのだ。偶然も重要なのだ。生物の進化には、いつも必然と偶然が作用している。たとえば、私たちの脳が大きくなったのは、ある環境のもとでは必然だったのかもしれない。しかし一方で、それが起きたのが人類の系統であって、チンパンジーの系統でなかったのは偶然だったのかもしれない」。

分かり難いと言われることの多い中立説が、すっきり理解できます。

第3は、今西錦司が提唱した今西進化論は正しいのか否かということ。

「今西の主張に反して、自然選択が実際に作用することは、多くの研究で実証されている。『子供が生殖年齢になるまで、より多く生き残るような形質』つまり『適応した形質』は実際に存在し、それに自然選択が作用することは、実験室や野外における多くの研究で実証されているのである。したがって、適応という現象は実在すると考えられる」。

「もちろん今西進化論は正しくない。今のところ、種がそれぞれの個体に何らかの統制をしている証拠はないし、自然選択を完全に否定するのは論外だろう。また、今西進化論の中で一番大事であり、また一番奇妙でもあるのは、進化を起こす力である。今西が主張するのは、生物の中にも外にも存在する力である。具体的な説明はない。今西の主張には、つじつまの合わないところもたくさんあるので、それら全てを包み込むような力としては、こういう言い方しかできなかったのだろう」。

「では、どうして現在でも、今西進化論は一定の人気があるのだろう。おそらくそれは、今西進化論や自然選択説に対するキャッチフレーズのせいだと思う。ダーウィンが提唱した自然選択説は『競争の原理』で、今西進化論は『共存の原理』だと対比されることもある。あるいは、自然選択説は生物の主体性を認めないが、今西進化論は主体瀬を認めると言われることもある。そんなことを言われたら、今西進化論に賛成したくなってしまう。だって、あなただって、競争より共存の方が好きでしょう? 主体性があった方がいいでしょう?」。

これまで今西進化論に親しみを感じてきた私も、漸く、今西進化論にさよならを告げられそうです。