夫も家族も仕事も地位も捨てて、亡命を続けるブレヒトと彼の最期まで行動を共にした女性の回想録・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2079)】
シロハラ(写真1、2)、アオジの雄(写真3~7)、ジョウビタキの雌(写真8~16)、エナガ(写真17~19)をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は17,079でした。
閑話休題、『ブレヒト 私の愛人――「ライートゥ」は語る』(ルート・ベアラウ著、好村冨士彦・増本浩子訳、晶文社)は、ベルトルト・ブレヒトの愛人、ルート・ベアラウのブレヒトを巡る回想録です。
1933年にブレヒトと出会った時、27歳のベアラウはデンマーク・コペンハーゲンの王立劇場の女優であり、一廉のジャーナリストでもありました。市民社会においては才能にも経済力にも恵まれた医師のロベール・ロンの妻として認められ、進歩劇な労働者たちの間では、彼女が特権に甘んじていないことと、労働者劇場の創設者および指導者としてイニシアティヴをとったことのために評価されていました。また、彼女はどこにいても人目を惹くほどの美人であり、どこででも必要とされるほど機動力に富んでいました。彼女は共産主義者として、ある意味でその名を国中に馳せてさえいたのです。
それに対して、ブレヒトのほうは、かつての名声を今は維持しておらず、無名の亡命者に過ぎませんでした。彼は自己を正確に表現することのできる言語圏外で生活し、自分の戯曲を自分にやり方で試してみることのできる劇場も持たず、原稿が出来上がるのを今か今かと待ち受けている出版社もありませんでした。
このような状況下でベアラウに会ったので、ブレヒトは彼女のことを天からの贈り物だと思ったに違いありません。彼はすぐにベアラウをこの見知らぬ国での通訳兼助手にしてしまう術を心得ていました。事実、ブレヒトの戯曲の、ベアラウによる翻訳や演出は、ブレヒトにとって何にも増して大きな支えとなりました。
「ルート・ベアラウはブレヒトのためになら喜んで働き、自分の提案が役に立って、ブレヒトを助けることができると幸せだった。それでも彼女は時々自分が彼に依存していることを思い悩み、だんだん主体性がなくなっていくことを恐れた」。
ブレヒトがデンマークからスウェーデン、フィンランドへと逃亡する時、愛するブレヒトの頼みを受け容れたベアラウは、夫や家族と別れ、祖国や母国語を捨て、経済的な自立も諦めて、その時から完全に、良きにつけ悪しきにつけ、ブレヒトとしっかり結びついたのです。
この決心がもたらした重大な結果の責任を、ベアラウは自分で負わなければならなりませんでした。後に彼女はしばしば、この決心が正しかったのかどうか、また、もしもあの時、ブレヒトの頼みを聞き入れていなかったら、彼女の人生はどうなっていただろうかと自問しています。
博愛主義者のブレヒトの周囲には、妻のほかに、常に助手兼愛人が犇めいていたのです。
愛に殉じたベアラウの熱い思いが籠もった一冊です。