須賀敦子、孔子、井筒俊彦を通じて哲学を考える・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2114)】
この季節、私が一番撮影したいのはルリビタキの雄だが、まだ出会えていません。行き合ったバード・ウォッチャー森田勝氏から、私の野鳥観察コースの近くでルリビタキの雄の撮影に成功したと教えられ、その場所で1時間近く張り込みましたが、世の中はそう甘くはありませんでした(涙)。このルリビタキの雄(写真1、2)は、森田氏が15日前に撮影したものです。モズの雄(写真3)、アオジの雄(写真4、5)をカメラに収めました。鳥の羽が散らばっている先で、オオタカの食痕(写真6~8)と思われるものを見つけました。犠牲となったゴイサギは、骨だけ残して筋肉まで綺麗に食べられています。あちこちで、ウメが赤い花、白い花を咲かせています。因みに、本日の歩数は11,135でした。
閑話休題、『生きる哲学』(若松英輔著、文春新書)から、いくつも刺激を受けました。
●歩く 須賀敦子の道――。
「人間には誰しも担わなくてはならない人生の問いがあり、それは他人に背負ってもらうことはできない。自己を生きるという使命においては、優劣や意味の大小は存在しえない。それぞれが固有の存在であることが個々の人間に宿っている冒されざる尊厳の根拠となっている。その真実を須賀敦子は、市井の人々の日常を描くことで示そうとした。『無名の家族のひとりひとりが、小説ぶらないままで、虚構化されている』との彼女の言葉は、須賀敦子自身の文学の秘密を語ってもいる。没後十六年を経てもなお、須賀はエッセイストだったとされているが、彼女は、『小説ぶった』ものでなければ小説だと認めない、とする世の中の動きを逆手にとって、読者を創造的に『欺く』ように、次々と彼女が信じる『小説』を書いていった。須賀が、作家として活動したのは晩年の七年あまりの間でしかない。はじめての著作『ミラノ 霧の風景』が公刊されたとき彼女は六十一歳になっていた」。
「哲学とは、口にすることであるより、迷いながら歩くことだった。だから、須賀敦子は歩く。比喩ではなく、よく歩く。彼女の作品を読むと、無意識的に、あるいは本能的に歩くなかで何かと出会おうとしているのが分かる」。
●喪う 『論語』の哀しみ――。
「歌は、悲しみを起源にする。悲しみで言葉にならない呻きは、歌の母となる。容易にかたちを帯びようとしない死者への思いが満ちるとき、歌が生まれた。人はそれを挽歌と呼び、挽歌から愛する人に言葉を送る相聞歌が生まれた。歌が無数にあるように、無数の悲しみがある。一つとして同じ悲しみはない。悲しみが心性の伝統を作る。『伝統とは民族的合意である』、と白川(静)は書いている」。
「『論語』を精読する者にはそれぞれの孔子の姿がある。『論語』を読むとは、それぞれの孔子の『顔』を見出すことだと言えるのかもしれない。比喩ではない。白川にとって『読む』とは、言葉を扉にそれを書いた者と出会うことだった。『論語』はこれまで、そうした実存的な経験のもとで読み継がれて来たのである。江戸時代の儒学者伊藤仁斎もその一人だった。・・・仁斎にとって『読む』ことは文字を追うことでなく、むしろ、文字を通じて先師孔子の息吹を感じることだった。『信頼する人間と交わる楽しみであった』と小林(秀雄)が書いているように、『読む』とき、仁斎の前に孔子は、まざまざと立ち現れることもあった。それは仁斎にとって至上の喜びであり、その歓喜は、『手の舞ひ足の踏むところを知らず』すなわち、ふるえるほどの経験だった。それは時折、起こったのではない。むしろ、それが仁斎の日常だった。同じ精神は『孔子伝』を書く白川にもありありと感じることができる。彼にとって『論語』を読むとは孔子の声を魂で聴くことだった」。
●書く 井筒俊彦と「生きる哲学」――。
「『書く』とは、コトバを通じて未知なる自己と出会うことである。『書く』ことに困難を感じる人は、この本のなかで引用されている先人のコトバを書き写すだけでもよい。もし、数行の言葉を本当に引き写したなら、その人は、意識しないうちに文章を書き始めているだろう。そして、こんなコトバが自分に宿っていたのかと、自分で書いた文章に驚くに違いない。自分の魂を、真に揺るがすコトバはいつも自分から発せられる。人は誰も、コトバという人生の護符と共にある。コトバは見出されるのを待っているのである。よく書けるようになりたいなら、よく読むことだ。よく読めるようになりたければ、必死に書くしかない。よく読むとは多く読むことではない。むしろ、一節のコトバに存在の深みへの通路を見出すことである。必死に書くとは、これが最後の一文だと思って書くことにほかならない。たとえば、もうこの世では会えない人に、今日書いた言葉だけは届くに違いない。そう思って『書く』。本気でそう思えたら、文章は必ず変わる。心からそう感じることができれば『読む』態度も一変する。『書く』とは、単なる自己表現の手段ではなく、永遠にふれようとする試みとなり、『読む』とは、それを書いた者と出会うことになるだろう。そこに見出すコトバは、時空を超えてやってきた、自分に送られた手紙であることを知るだろう」。
若松英輔というのは、先人たちの考え方、生き方から学ぶのが非常に上手な人であることを再認識しました。