ピルは、多彩な個性的な登場人物たちの、見えない糸で結ばれた連携プレイで誕生した・・・【MRのための読書論(188)】
新薬
『新薬という奇跡――成功率0.1%の探求』(ドナルド・R・キルシュ、オギ・オーガス著、寺町朋子訳、ハヤカワ文庫)には、人類がさまざまな工夫・苦労を積み重ね、新薬をつくり出してきた歴史が綴られている。
ライン川沿いの製薬企業群
「藍色や深紅色やスミレ色――合成医薬品ライブラリー」の章には、「大きな利益を得る目的で最初に合成化学を利用したのが染料企業だった。・・・ドイツの染料工場のほとんどは、ライン川沿いに誕生した。それは、ヨーロッパの主要な各都市に近かったから、それにライン川が北海に注いでいる地の利を活かして、原料と製品のどちらもドイツや中央ヨーロッパ、北ヨーロッパ、さらには世界中に輸送しやすかったからだ」と記されている。伝統を誇る大手製薬企業がライン川沿いに並んでいる理由は、これだったのだ。
インスリン
「ブタからの特効薬――バイオ医薬品ライブラリー」の章には、「それまでは、市場に出た薬は、植物から抽出されたか合成化学によってつくり出されたものばかりだった。バンティングとベストは、有用な薬を動物の体から直接抽出するという、いまだかつてない方法を発明したのだ。・・・ノーベル賞委員会は、動物に由来するインスリン製剤の独創的なn開発につながった歴史的な研究活動を認め、1923年にノーベル生理学・医学賞をフレデリック・バンティングとJ.・J・R・マクラウドに授与した」という一節がある。対象がイヌに始まり、ウシ、ブタを経て、ヒトに至る経過は、何ともドラマティックである。
ピル
個人的に最も印象深いのは、「ピル――大手製薬企業の外で金脈を掘り当てたドラッグハンター」の章である。
「まれに、薬が主要なライブラリーの外部、すなわち資金の潤沢な大手製薬企業の研究室から遠く離れたところで発見されることがある。・・・このように大企業とは無関係に開発された薬から、現代文明の基本的な社会機構をなによりも変えたと思われるものを一つ選び出すとしたら、特に有名で影響力の大きなあの薬がふさわしい。いわゆる『ピル』として知られることになった経口避妊薬だ」。
「ピルは、大手製薬企業の科学研究所や販売チームの会議から生まれたのではなかった。まず、ウシの妊娠を急がせたがったスイスの酪農家たちが、ちょっと変わった解剖学上の発見をした。次に、ある獣医学教授がこの知見を発表したことがきっかけとなり、排卵抑制薬としてのプロゲステロンが特定された。偏屈な一匹狼の化学者が、単におもしろいパズルだからという理由でプロゲステロンの合成法を見出した。二人の70代の女性解放活動家が、経口避妊薬をつくり出すという自分たちの夢をかなえるため、信用を失った生物学者に白羽の矢を立てた。敬虔なカトリック教徒で根っからの理想主義の婦人科医が、経口避妊薬の世界初となる臨床試験の実施に賛同した。その生物学者と婦人科医は協力し、プエルトリコで臨床試験をおこなって連邦法や州法、さらには医療倫理も巧妙に逃れ、有害な副作用の明らかな徴候にも目をつぶった。彼らが、カトリック教徒のボイコットを恐れる製薬企業をようやく説得でき、その薬の製造が始まったのは、女性たちが、その企業が販売していた薬の一つを、避妊という適応外の目的で勝手に使っていたことに運よく気づいたあとのことだった」。この多彩な個性的な登場人物たちの顔ぶれと、意表を突くそれぞれの役割、見えない糸で結ばれた彼らの連携プレイは、小説の題材にしたとしても、多くの読者を獲得したことだろう。
「このようなわけで、一言でいえば新薬の開発は恐ろしく困難なのだ。このプロセスを繰り返したいか想像してみてほしい。『経口避妊薬を開発したように、禿げの薬を開発できるか?』。ドラッグハンターとして成功するためには、才能、勇気、粘り強さ、それに運が必要だが、それでも足りないかもしれない。それと、プロゲステロンの開発プロセスで大手製薬企業が癪にさわるほど非協力的だったことを見過ごしてはならない。ピンカスとサンガーが、ピルの開発を支援してくれるように嘆願したとき、製薬企業は一つ残らず彼らの提案を一蹴した。それまで冷淡だったある製薬企業がようやくピルの開発に飛びこんだのは、無所属のドラッグハンターからなるチームが懸命な努力の末、FDAに承認される臨床試験をまったく自力で成し遂げてからだった。現代の新薬開発プロセスはおおいに不公平だし徹底的に不合理だ。それでも、どうにか何億人もの女性の人生を大きく向上させた。これが新薬探索の本質である」。著者のこの言葉は、私たちの胸に鋭く突き刺さる。
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