榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

最高の教育を受け、優秀な成績を収めたエリートが、組織を滅亡に導く・・・【情熱的読書人間のないしょ話(989)】

【amazon 『逆説の日本史(23)』 カスタマーレビュー 2018年1月6日】 情熱的読書人間のないしょ話(989)

松の内ですが、正月も6日となると、地元の神社は静けさを取り戻しています。因みに、本日の歩数は10,208でした。

閑話休題、『逆説の日本史(23)――明治揺籃編 琉球処分と廃仏毀釈の謎』(井沢元彦著、小学館)は、これまでの巻とは大分趣が異なっています。というのは、「近現代史を考察するための序論 近現代史を歪める人々――日本を蝕み続ける『バカトップ』問題」という章が全体の半分を占めているからです。

「日本民族が抱える最大問題の一つが、『バカ』正確に言えば『最高の教育を受け優秀な成績を収めながら一番肝心な常識がわかっていないエリート』がなぜか組織の『トップ』になってしまい、組織を滅亡に導くという大欠陥が我々の文化にあるということだ。当然、その克服は日本民族の最優先課題でもある。しかし、克服どころか、こういう問題があるという認識すら育っていないのが現状」という危機意識が、著者にこの章を書かせたのです。

「朝鮮戦争は、北朝鮮の韓国に対する奇襲攻撃で始まったのである。ところが近代史の権威藤原彰は・・・韓国のほうが先に仕掛けた戦争であると断定したのである。・・・この朝鮮戦争において、韓国軍の奇襲によって戦争が始まったということはあり得ない。なぜなら奇襲攻撃とは相手の不意を衝くわけだから、仕掛けたほうの優位はしばらく続くものであるからだ。・・・ところがこの朝鮮戦争においては開戦わずか3日で、韓国軍は北朝鮮軍に首都ソウルを占領されているのである。韓国が先に奇襲したとしたらあり得ない事態だ。・・・本来事実というものはイデオロギーとは関係無い。事実は事実だ。そしてその事実をできうる限り公平に客観的に追究するのが、学者・評論家・ジャーナリストの崇高な使命である。ところが、いわゆる進歩的文化人や一部のマスコミはこのことがまったくわかっていなかった」。

「廃仏毀釈と宗教の整備」の章には、注目すべきことが書かれています。「神道の欠点を補う形で仏教が(日本に)導入されて定着したということだ。その最大のものが『死』に対する対応であっただろう。神道は死に対して、ほとんど『救い』を講じていない。・・・神道は死んでしまえば、その魂を神として祀る以外には救われる道は無く、ただ暗くケガレた黄泉の世界に行くしか無いのである。・・・だから、死後の救いあるいは死そのものの超克といった課題に答えている仏教が、神道と対立すること無く日本に定着したのである」。この指摘には、目から鱗が落ちました。

大乗仏教の解説も秀逸です。「紀元前に生まれた釈迦の仏教は個人の救済を中心としたものであった。それに飽き足らない、つまりちょうど古代の日本人が神道が死に対する『対策』を何も持っていないことに不満を抱いたように、釈迦の仏教が大衆の救済を目指していないことに不満を持った若手改革派は、釈迦の死後数百年たってから新しい仏教を始めた。大乗仏教である。大乗とは大きな乗り物のように大衆を『乗せ』救済に導く仏教という意味であった。ちなみに、この反対が『小乗(1人しか乗れない)仏教』で、大乗側がそれまでの仏教をバカにして言った差別語である。しかし新しい仏教は釈迦の言説であるという形を取っているものの、実際には大乗仏教のオリジナルであり、その証拠に釈迦の仏教とはまったく違う様相を呈していた。この矛盾を解決するために大乗仏教の先達たちが考え出したのが方便あるいは垂迹という考え方である。もともと釈迦は大乗の教えを説くつもりであった。しかし、それはあまりにレベルが高いので、まずは『小乗』の教えを説きその後大乗に転じた、としたのである。したがって『小乗仏教』で述べられているのは、取りあえず人間を仏教の中に取り込むための教えであり、それは当然真の教えとは違う『方便』に過ぎないというのが大乗仏教の考え方である」。井沢のこの説明は簡にして要を得ていますが、釈迦が始めた個人救済を目的とする原始仏教に親しみを感じる私には、大乗仏教を考案した連中は牽強付会が過ぎるように思えます。

井沢の憲法九条に関する主張は検討に値します。「九条を変えると言っても平和主義を完全に放棄する必要はない。たとえば『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる侵略戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、自国を外部からの侵略的行為から守る以外の国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、自国を防衛するための最低限の陸海空軍その他の戦力を保持する。徴兵制はこれを認めない』(太字部分が改訂)などとすればよい。簡単なことだ」。

著者の主張に対する賛否はあるでしょうが、刺激的な一冊です。