榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

紫式部は雅楽が嫌いだった?・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2091)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年1月3日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2091)

ヒヨドリが鋭い鳴き声を上げています。コゲラが嘴で幹を何度も激しくつついて、獲物にありつこうとしています。

閑話休題、『日本人のための音楽療法』(牧野英一郎著、幻冬舎メディアコンサルティング)は、著者が提唱する、日本人の感性に馴染む音楽療法の本だが、紫式部に関する興味深い一節が印象に残りました。

「『もののね』とは、音を伴う情景です。ここでいう『音』には、楽器音だけでなく自然音も含まれます。さらには、そうした音によってもたらされた心の中に現れる景色、感情の景色と言うべきものなど、聴覚以外の感覚も『もののね』には含まれます」。

「ちなみに『もののね』という言葉は源氏物語の時代から使われていました。環境音楽研究家の田中直子氏は次のように述べています。『源氏物語に登場する<もののね>という語は従来は筝や管弦などの器楽を漠然と示すとされていたが、そればかりではなく、楽器が醸し出す音色や感性的な肌あいを意味したり、その音色がその場できこえてくる自然音や、聴覚以外の感覚によってとらえられた種々な状況及び雰囲気と調和していることを暗示したりもする』。『もの』という言葉には『物。音』だけでなく『もののけ』や『ものがたり』のように人の感覚を超えた存在という意味があります。また、『ね』にも『音』だけでなく『根』というニュアンスがあるので、『もののね』は人間の心根も含む語と解釈することができるでしょう」。

「西洋では自然音に対して関心が払われることはなく、特に近代以降は、自然音と楽音は相いれないものとみなされていましたが、日本人は自然音と楽音とを西洋人ほどには差別せず、両者は融け合うものとしてきました。例えば、音楽物語としても名高い『源氏物語』には自然音と楽器音の融合する情景の描写が多く見られます。一例を示すと、『若菜下』には次のような一節が見られます。<波・風の声に響きあひて、さる木高き松風に、吹きたてたる笛の音も、ほかにて聞く調べにはかはりて身みしみ、琴にうち合はせたる拍子も、鼓を離れてととのへとりたる方、おどろおどろしからむも、なまめかしく・すごく・おもしろく>。波の音・風の音・木高い松風の音といった自然音と、笛・琴・笏拍子・鼓といった楽器音が、一緒に響いて調和して、ある感情を暗示までしています。また、『鈴虫』という章では、自らの正妻で仏門に入った女三宮に未練を抱いている、主人公の光源氏が、月夜に鈴虫を庭にまいてその気を引こうとする場面や琴を演奏する情景が描かれています。そこでは、虫の音、琴、去ろうとする女性への想い、月光、頬をなでる秋風というように、自然音(聴覚)、楽音(聴覚)、感情、秋の情景がもたらすその他の感覚(視覚、触角など)が一体のものとして表されているわけです」。

「『源氏物語』には次のような一節も見られます。<ことことしき高麗唐土の楽よりも、東遊の耳なれたるは、なつかしく おもしろく(若菜下)>。『楽』すなわち(朝鮮)半島や大陸伝来のおおげさな雅楽や舞楽より、地方の歌と小編成の楽器つきの舞のほうが耳になじんでよいという、作者である紫式部のつぶやきとも取れる文です」。恐らく、紫式部は雅楽が嫌いだったのでしょう。