榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

日本の近代医学は刑場での解剖から始まった・・・【MRのための読書論(62)】

【Monthlyミクス 2011年2月1日号】 MRのための読書論(62)

明治維新を準備した「田沼時代」

MRが、近代医学の原点について高校の歴史教科書の記述以上のことを知っているからといって、営業実績に好影響を及ぼすというものではないだろう。しかし、杉田玄白、前野良沢らの情熱や苦労を知ることは無駄ではないと思う。

「田沼意次が実権を握っていた田沼時代は、これがなかったならば、100年後の明治維新はなかったと思えるほどの、開国前夜ともいうべき時代の転換点であり、諸外国と比べて遜色のない経済の活況と豊饒な文化を生み出した時代――旧来の格式に囚われない斬新な発想と先見性に満ちた――であった」という歴史認識のもとに書かれた『開国前夜――田沼時代の輝き』(鈴木由紀子著、新潮選書)は、知的好奇心を刺激する一冊である。

この書では、大胆な政治改革を目指した田沼意次、近代科学に挑戦し続けた先駆者・平賀源内、海外の最新知識の吸収に熱中した大名・島津重豪、超俗的な画家、池大雅・玉瀾夫妻、滝沢馬琴に絶賛された才女・只野真葛、ロシアの南下に警鐘を鳴らした工藤平助、蝦夷地探検に挑んだ最上徳内の事績が、簡にして要を得た筆致で紹介されている。いずれの人物も興味深いが、MRという視点から惹きつけられたのは、日本の近代医学を切り開いた杉田玄白である。?

老医師の臨場感溢れる回想録

著者によれば、5歳年上の源内と知り合った玄白は、讃岐弁で自慢話を捲し立てる源内から大いに刺激を受けたという。二人は会うたびごとに、さまざまに見聞した西洋の学問について語り合い、できればオランダ語で書かれた書物を日本語に翻訳したいと考えていた。しかし、江戸にはオランダ語の文章を読解できる人間など一人もいない。そういう状況下で、前野良沢らとオランダの人体解剖の図解書『ターヘル・アナトミア』の翻訳に取り組み、苦心を重ね、遂に『解体新書』の刊行に漕ぎ着けた玄白が、40数年前の苦闘時代を回想した『蘭学事始』を書き上げたのは81歳(満年齢)の時であった。

辞書なき翻訳への情熱と粒々辛苦

『開国前夜』を読んだら、『蘭学事始』そのものを読み返したくなった。34年前に読んだ岩波文庫版の原文のみの『蘭学事始』が私の書棚に並んでいるが、どうせ読むなら原文と現代語訳を併せて読みたいと思い、今回、求めたのが『蘭学事始』(杉田玄白著、片桐一男訳、講談社学術文庫)である。

どうしても欲しかった『ターヘル・アナトミア』を入手したばかりの玄白に、思いがけない幸運が巡ってくる。千住の骨が原(現在の東京都荒川区南千住5丁目の辺り)の刑場で腑分け(解体)をするので見学に来ないかと誘われたのである。「オランダの解剖の書物をはじめて入手したことでもあるので、実物と照らし合わせてみて、(日本で教えられている学説と、この書物の)どちらが正しいか試してみようと喜び、このうえもなく絶好の機会が到来したものだと、もう骨が原へ出かけてゆくことで、わたしの心はおどりあがらんばかりであった」。

「その翌日、良沢の家(現在の東京都中央区明石町の聖路加国際病院の辺り)に集まって、昨日のことを話し合い、まず、あの『ターヘル・アナトミア』の原書に向かってみたところが、まったく、艪も舵もない船が大海原に乗り出したようで、ただただひろびろと果てしなくひろく、寄りつくところとてなく、ただもう、あきれにあきれるばかりであった」。眉の短い説明文でも、「意味がぼんやりしていて、長い春の一日かかっても理解することができず、日が暮れるまで考えつめ、たがいににらみあっても、わずか一、二寸ばかりの文章でさえも、一行も理解することができないでしまうことであった」。

推理しては訳語を決定していくという、「このように思いをこらし、精根をすり減らして辛苦した会合は一ヵ月に六、七回であった」。「およそ一年あまりも過ぎると、訳語もしだいにふえて、読むにつれて、オランダ国の事情も理解できるようになった。のちのちは、その文章や語句のまばらなところは、一日に十行も、それ以上も、格別の苦労もなく理解できるようにもなった」。そして、「四年のあいだに、草稿は十一回までも書きなおして、ようやく印刷屋にわたすまでとなり、ついに『解体新書』翻訳の事業は成就したのである」。