榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

82歳の杉田玄白が、41年前に漸く発刊に漕ぎ着けた『解体新書』の苦労、感激を綴った『蘭学事始』・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2536)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年3月28日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2536)

あちこちで、ソメイヨシノ(写真1~13)が咲いています。実を付けている柑橘類の種類を、庭仕事中の主に尋ねたところ、ナツミカン(写真14、16の手前、17の左)とハッサク(写真15、16の奥、17の右)とのことで、わざわざ高枝切り鋏でもぎり、女房に手渡してくれました。因みに、本日の歩数は15,179でした。

閑話休題、『蘭学事始』(杉田玄白著、緒方富雄校註、岩波文庫)を書斎の書棚から引っ張り出してきて、46年ぶりに再読しました。

「然るにこの節不思議にかの国解剖の書手に入りしことなれば、先づその図を実物に照し見たきと思ひしに、実にこの学開くべきの時至りけるにや、この春その書の手に入りしは、不思議とも妙ともいはんか。そもそも頃は三月三日の夜と覚えたり。時の町奉行曲淵甲斐守殿の家士得能万兵衛といふ男より手紙もて知らせ越せしは、明日手医師何某といへる者、千住骨ケ原にて腑分いたせるよしなり。お望みあらばかのかたへ罷り越されよかしといふ文をこしたり。・・・よき折あらば翁(玄白)も自ら観臓してよと思ひ居たりし。この時和蘭解剖の書も初めて手に入りしことなれば、照らし視て何れかその実否を試むべしと喜び、一かたならぬ幸の時至れりと彼処へ罷る心にて殊に飛揚せり。・・・かの(前野)良沢へも知らせ越したり。さて、良沢は翁よりも齢十ばかりも長じ、われよりも老輩のことにてありしゆえ、相識にこそあれ、つねづねは往来も稀に、交接うとかりしかど、医事に志篤きは互ひに知り合ひたる仲なれば、この一挙に漏らすべき人にはあらず」。罪人の解剖を見学する機会を得た杉田玄白は、時至れりと喜び、10歳年上の前野良沢にも声をかけたのです。

解剖場所にて、「良沢一つの蘭書を懐中より出だし、披き示して曰く、これはこれターヘル・アナトミアといふ和蘭解剖の書なり、先年長崎へ行きたりし時求め得て帰り、家蔵せしものなりといふ。これを見れば、即ち翁がこの頃手に入りし蘭書と同書同版なり。これ誠に奇遇なりとて、互ひに手をうちて感ぜり」。何と、良沢もターヘル・アナトミアを入手していたのです。

解剖見学を終えて、「翁、申せしは、何とぞこのターヘル・アナトミアの一部、新たに翻訳せば、身体内外のこと分明を得、今日治療の上の大益あるべし」。

「その翌日、良沢が宅に集まり、前日のことを語り合ひ、先づ、かのターヘル・アナトミアの書にうち向ひしに、誠に艪舵なき船の大海に乗り出だせしが如く、茫洋として寄るべきかたなく、たゞあきれにあきれて居たるまでなり」。いざ翻訳と意気込んだものの、オランダ語が分からぬ玄白たちの戸惑いぶりが伝わってきます。

「前後一向にわからぬことばかりなり。たとへば、眉(ウエインブラーウ)といふものは目の上に生じたる毛なりとあるやうなる一句も、彷彿として、長き春の一日には明らめられず、日暮るゝまで考へ詰め、互ににらみ合ひて、僅か一二寸ばかりの文章、一行も解し得ることならぬことにてありしなり。また或る日、鼻のところにて、フルヘッヘンドせしものなりとあるに至りしに、この語わからず。これは如何なることにてあるべきと考へ合ひしに、如何ともせんやうなし。その頃ウヲールデンブック(釈辞書)といふものなし。漸く長崎より良沢求め帰りし簡略なる一小冊ありしを見合せたるに、フルヘッヘンドの訳註に、木の枝を断ち去れば、その跡フルヘッヘンドをなし、また庭を掃除すれば、その塵土聚まりフルヘッヘンドすといふやうに読み出だせり。これは如何なる意味なるべしと、また例の如くこじつけ考へ合ふに、弁へかねたり。時に、翁思ふに、木の枝を断りたる跡癒ゆれば堆くなり、また掃除して塵土聚まればこれも堆くなるなり。鼻は面中に在りて堆起せるものなれば、フルヘッヘンドは堆(ウヅタカシ)といふことなるべし。然ればこの語は堆と訳しては如何といひければ、各ゝこれを聞きて、甚だ尤もなり、堆と訳さば正当すべしと決定せり。その時の嬉しさは、何にたとへんかたもなく、連城の玉をも得し心地せり。かくの如きことにて推して訳語を定めり」。『蘭学事始』を執筆当時82歳の玄白の手で、41年前に漸く発刊に漕ぎ着けた『解体新書』の苦労、そして感激が臨場感豊かに、生き生きと綴られています。