榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

天安門事件で戦車に立ち向かった勇敢な男は、当局側が仕組んだ遣らせだった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2004)】

【読書クラブ 本好きですか? 2020年10月9日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2004)

ハロウィンカボチャが育てられています。

閑話休題、『目撃 天安門事件――歴史的民主化運動の真相』(加藤青延著、PHPエディターズ・グループ)は、天安門事件を目撃したNHK特派員の臨場感溢れるドキュメントだが、驚くべきことが書かれています。

「天安門事件の真っただ中、民主化運動を武力で制圧するため出動した人民解放軍の戦車部隊の前に、一人の勇敢な若い男が飛び出した。彼は大胆にも戦車の前に立ちふさがり、仁王立ちになってその前進を阻んだ。すると戦車の操縦士がハンドルを切って進む方向を少し変え、彼の脇をすり抜けようとした。だが、その男も果敢に横移動して方向を変えた戦車の前に立ちふさがる。戦車が今度は逆方向に舵を切り、逆サイドから男を避けて進もうとするが、男もそれと合わせて逆方向に横移動し、再び戦車の行く手を阻んだというものだ。そして彼こそが、素手で戦車に挑んだ勇敢な民主化運動の戦士だったと称えられている」。

ところが、現場で、その光景の一部始終を自分の目で見ていた著者は、この名場面は当局側が仕組んだ遣らせ、自作自演だというのです。

「現場に居合わせたからこそ断言できる点は、まずあの『名場面』が起きたのは、天安門事件の当日ではなく、その翌日、つまり1989年6月5日午前だったということだ。すでに広場は、人民解放軍の部隊に完全に制圧されていた。『名場面』の舞台も、天安門広場そのものではなく、それよりやや東側の長安街。当時、民主化運動の取材をするため多くの外国の報道機関が最前線の取材拠点を構えていた北京飯店のすぐそばだった。・・・問題の『名場面』は、まさにその報道陣のカメラのファインダーにそのまま写り込む絶好の場所で起きた。だからNHKを含む世界の主要メディアの多くが、その一部始終を撮り逃すことなく完璧に撮影できたのだ」。

「やがて戦車男は、停止している戦車の上によじ登り砲塔の中をのぞき込もうとしたところを、長安街の両側から一斉に飛び出した私服警官と思われる男たちの手で取り押さえられ、そのまま目の前の公安省(警察庁に相当)の中に連れ込まれるような形で姿を消したのだ。・・・私やその一部始終を撮影したカメラマンは、しばしあっけにとられ、一体何が起きたのかわからなかった。とにかく普通ではあり得ないことが起きたことだけはわかった。そして、考えれば考えるほど理解に苦しむことが次々と浮かび上がってきた」。

「まず、厳重な警備が敷かれていた天安門広場の近くになぜあの戦車男が易々と入り込めたのかということ。・・・しかも男が戦車を止めた場所が公安省の目の前の路上で、当時その近辺には、非常に多くの私服警官が見張っていたはずだった。もし不審な男がいれば、道路に飛び出した瞬間につかまってしまうような緊迫した状況だった。なぜ私服警官たちは、あの戦車男が戦車の前に飛び出してもすぐに取り押さえず、しばらく戦車の行く手を妨害し続けることを黙認したのだろうか。また、戦車男はなぜ両手に大きなバッグをぶら下げ、戦車に合図を送るようなしぐさをしたのか。戦車男の視線が常に戦車の操縦士の潜望鏡の方に向けられていたのはなぜなのか。戦車男は、なぜ最初から最後まで無言であったのか。広場で抵抗した多くの学生や市民が、いつも大声で共産党や政府の批判を口走っていたのとは対照的だった」。

「そもそも行く手を阻まれた戦車部隊は天安門広場を制圧した後、広場から『撤収』する方向に移動していたのだ。もし戦車男の行動が、広場に侵入しようとする戦車を食い止めようとしたのであったらまだ納得できる。実際には、戦車男の行動はまさにその逆で、自らの宿営に帰ろうと広場を後にする戦車の列の前に、まるで『広場から撤収するな』というかのような阻止行動をした形なのだ」。

「さらに疑問は尽きない。先頭の戦車が前進を阻まれても、後続の20両近くの戦車がお行儀よく一列に連なる必要はなかったはずだ。・・・他の戦車は、先頭車の脇をすり抜けてどんどん前進できたはずだ。たった一人の素手の男が、先頭の戦車を止めたところ、後続する20両近くが数珠つなぎのようになって一斉に止まってしまったことすらおかしなことだった」。

「男が着ていた服装もおかしかった。真っ白なワイシャツを着ていたのだ。当時、天安門広場で抗議活動をしていた学生や市民の多くは、その場に何日も寝泊りしていたため、顔はすすけ、着ているものはだいぶ汚れていた。汚れが目立たないような色物のシャツを着ている人が多かった。天安門広場の周辺で見かけた『きれいな白いシャツ』の人たちは、その多くが二人ずつペアで行動する私服警官など当局側の人間が多かった。われわれが天安門広場などで取材する時も、常に『白シャツ』の姿や視線を確認しながら行動していたのだ。当日、戦車男を取り押さえた私服警官と見られる人たちも、その多くが白シャツだった。そして何より、秘かに人民大会堂に進駐した兵士たちもまた、白シャツ姿だった」。

数日後、著者は当局側の関係者から自作自演を示唆する証言を得ています。「それは『あの勇ましい男と戦車の光景』は、『戦車は人をひかない』ということをわれわれ外国の報道機関にアピールするために当局側が仕組んだ『自作自演』である可能性を示唆する言葉だった。・・・なぜ当局が、わざわざ外国の報道機関の前で『戦車は人をひかない』とアピールする必要があったのか。それは『戦車が天安門広場で学生たちを大勢ひき殺した』という噂の情報を欧米系メディアの一部が流し始めたことと関係しているようだ。北京市民の間に広がる尾ひれのついた噂が、外国の報道機関を通じて世界に拡散することを恐れた当局が、苦し紛れに思いついた名誉挽回の謀略宣伝工作こそ、まさにあの『戦車男の茶番劇』だったということになる」。

戦車に勇敢に立ち向かった白シャツの青年に畏敬の念を抱いてきた私だが、本書によって真相を知った今は、苦汁を飲まされた気分です。