榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

こんな洒脱な随筆の書き手がいたとは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2374)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年10圧17日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2374)

ナガイモ(写真1)の葉の付け根にできた零余子(むかご)を見つけました。あちこちで、キノコを見かけました。

閑話休題、『泣菫随筆』(薄田泣菫著、谷沢永一・山野博史編、冨山房百科文庫)を読んで、こんな洒脱な随筆の書き手がいたことに驚くとともに、もっと早く出会いたかったと臍を噛みました。

「(薄田)泣菫は、自然への愛慕の念をただよわせながら、また、身近な出来事のささやかなおもしろ味にふれながら、人生の真実についてさりげなく語りかけるのに、卓越した筆力を発揮した。・・・やはり人間への深い関心から歴史上の逸話への愛着もひととおりでなく、それをもとにこしらえた話の仕上りは、水際だっていた。たくさんの作品を書きつづけるつれづれに、泣菫が、自然を観察し、人生を省察し、人間を洞察しつつ、ふともらす自己表白のことばが、人生の深淵や人間精神の内奥にすなおに到達しているのは、泣菫随筆ならではの醍醐味といってよいだろう」。

とりわけ印象深いのは、「奈良の女乞食」、「『たけくらべ』の作者」、「利休と遠州」の3篇です。

●奈良の女乞食――
「何気なくその門口まで来かかつて、私は思はず立ち止つた。そこには女乞食がゐた。・・・生れ落ちた以上は致し方もないことだが、世の中にはそんなことを論じる余裕もなく、ただ生きるために生きてゐる人もある。生きるために生きる――何という露出な相相つ気のない言ひ草であらう。が、しかしこの短い、そして強い事実に立脚した生涯でなければ、よしそれが神のやうな生活であらうとも、私たちにはどこかに寂しい空虚があるやうに思へてならぬ。誰やらが言つた『超人』といつたやうなものの境涯がいつか私たちにあり得るとしても、それはこの短い、裸な、生きるために生きるといふ事実に基いたものでなければなるまいと思ふ」。人生はどうあるべきかを表現した一幅の南画のようです。

●『たけくらべ』の作者――
「ほんのたった一度余所ながらその繊弱な姿を見たといふまでに過ぎない。ところは上野の図書館であつた。・・・男臭い汗の香や、煙脂臭い欠○(○は去偏に欠)に交つて、ふと女の髪のなまめいた容子がするので、私はそつと振りかへると、齢は二十四、五でもあらうか、小作りな色の白い婦人が、繊弱な指先で私と同じやうに忙しさうに目録を繰りながら、側に立つた妹らしい人と低声で何かひそひそと語り合つてゐた。見ると引き締つた勝気な顔の調子が、何かの雑誌の挿画でみた一葉女史の姿そつくりであつた。もしやあの秀れた『たけくらべ』の作者ではあるまいかと思つて、それとなくじつと見てゐると、その人はやつと目録を繰り当てたかして、手帳に何か認めようとして、ひよいと目録台に屈んだかと思ふと、どうした機会か羽織の袖口を今口金を脱したばかりの墨汁壺にひつかけたので、墨汁はたらたらと机にこぼれかかつた。周囲の人達の眼は物数寄さうに一斉に婦人の顔に注がれた。その人は別にどぎまぎするでもなくそつと袂に手を入れたと思ふと、真つ白なおろしたての手巾を取り出して、さつと被せるが早いか手捷く墨汁を拭き取つて,済ました顔でこつちに振りむいた。口元のきつとした・・・そして眼つきの拗ねた調子といつたら・・・。その折ちやうど図書掛りの方で、『樋口さん・・・』といふ呼び声が聞えた。するとその人は、『はい』と清しい声でうけて、牛のやうに呆けた顔をした周囲の人を推しわけてさつさとあちらへ往つてしまった。・・・ほんのそれ限で、何のことはないやうなものの、しかし私にはその折の皮肉な眼つきときつとした口元とが、ちやうどあの人の有つて生れた才分の秘密にたどり入る緒のやうに思はれて、『濁り江』を見るにつけ、『十三夜』を見るにつけ、また『たけくらべ』を読むにつけて、あの眼から、あの口元から閃いて見えるその人柄の追懐が、どうかすると女流作家と男性の私との間に横たはりがちな一重の隔たりを取り除け得るやうな気持がする・・・思ひなしかは知らないが、あの眼つきにはわれとわが心を食みつくさねば止まない才の執念さが仄めいてゐた」。たった一度見かけただけで、樋口一葉の心の持ち方をこれほど巧みに掬い上げるとは、泣菫はやはり只者ではありませんね。

●利休と遠州――
「ある日のこと、某は当時の大宗匠千利休を招いて、茶会を催すこととなりました。かねて主人の口から、この茶入について幾度ならず吹聴せられてゐた利休は、主人の手から若狭盆に載せられたこの茶入を受け取つてぢつと見入りました。名だたる宗匠の口から歎美の一言を待ち設けた主人の眼は、火のやうに燃えながら、利休の眼を追つて幾度か茶入の肩から置形の上を走りました。・・・主人は得意さうに利休の一言を待ち構へてゐました。利休は何にも言ひませんでした。狭い茶室はこの沈黙に息づまるやうに感ぜられました。・・・茶がすんで、利休が席を退くと、その少し前からやつと気持の平静を取り返したらしい主人は、雲山の肩衝を手のひらに載せて、しばらくぢつと見とれてゐましたが、いきなりそれを炉の五徳に叩きつけました。茶入は音をたてて砕け散りました。・・・(冥途で小堀遠州は見かけた利休に話しかけ)『その後、(あの)茶入が素人の手で無造作に継がれたのを御覧になつて、宗匠がこれでこそ結構至極と、その肩衝をお賞めなさいました』。『いや、違ふ。それは違ふ』。老人は樹の枝のやうな手を振りながら、遠州の言葉を抑へました。『わしが賞めたのは、千金にも代へ難いその誇りと執着とを、茶器とともに叩き割つた持主のほがらかな心の持ち方ぢや。ただそれだけの話ぢや』。『それでは、茶入をお賞めになつたのぢや・・・』。遠州は呆気にとられて、老人の顔を見つめました。『さうとも。さうとも。賞めたのは、ただその心持ばかりぢや』。老人はきつぱりと言ひ切りました」。人々が持て囃す評判とは何かを考えさせる、なかなか味のある一篇です。