『色ざんげ』を読み終えて、これまで食わず嫌いで本書を手にしなかったことを反省しています・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2505)】
毎日、我が家の庭にやって来るメジロ(写真1~8)、シジュウカラ(写真9~12)たちをカメラに収めました。野鳥たちを観察していると、時間が経つのを忘れてしまいます。
閑話休題、『色ざんげ』(宇野千代著、新潮文庫)を読み終えて、これまで食わず嫌いで本書を手にしなかったことを反省しています。
男性の、そして女性の恋愛心理の綾が生々しく描き出されています。また、愛する人との恋愛状態を継続することの難しさが綴られています。
「もう一人の女のいま咲いたばかりの花のような生々とした美しさは僕の眼を囚えずにはおかなかった。それは僕が日本へ帰ってから始めて見る美しさで街の女たちの決して持っていない清々しさがその言葉にも表情にも溢れていた。この女があの西条つゆ子なのだ、僕という男の一生を支配し、僕の運命をくつがえした、あのつゆ子なのだ」。
「とにかくどんな方法をとってでも明日の見合いから逃れたいから何か好い思案をしてくれと言うのであるが、僕にとってはしかし、たといこれが命をかけた恋であるとしても、世間普通の言葉をもってすれば妻もあり子供もある男だ。その僕がどうしてつゆ子の恋人であると名乗りを上げることが出来ようか。一刻も早く妻との関係をはっきりさせ子供の将来も見極めをつけた上で、尚その上で、中流以上の生活をする経済能力をもった一人の立派な男としてつゆ子の父の前に現れるのでなければ、僕の出現はただ一つの笑い話になることにしか過ぎないのだ。僕は全く途方に暮れた」。
「つゆ子に逢いたいという狂暴な飢餓のような気持だけが僕の凡ての思惟を押しのけて了いほかには何も考えることが出来なかった。何故か僕はその窓の中につゆ子がいるように思うとこの風雨にも拘らずもしそこにつゆ子がいたならば声をかけてそとに誘い出し一緒にここから逃亡しようとそんな途方もない考えが僕の心を掠めるのであった」。
「何だか壊れた玩具のようにいたいたしい様子だった。この様子は眠っていた僕の激情に火をつけた。あの半年前の狂気じみた愛情がそのまま戻って来た。どんなことをしてもこのつゆ子を失うまいという思いの前にはとも子との生活なぞものの数でもなかった。だがつゆ子はこの僕の激情にも拘らず何とも言えない虚無的な眼をしていた。彼女はしきりに『死にたい』と繰り返した。僕の愛情は信じるがそれを現実の世界に生かすことについては何も信じることが出来ないというのであった。そういう彼女はもう半ば死んでいる人のような表情をしていた。僕にはそのつゆ子を現実の世界に戻す力はなかった」。
「いつの間にか僕も死ぬことに心をきめたものと信じているつゆ子を、僕は怪しもうとも思わぬのであった」。
「お蔭で僕もつゆ子も一命をとりとめたのであるが。――」。
「あのことがあってからもう六年になる。死によって片附けるつもりでいたことが、ながい歳月の間に自然にいつとなく片附いていたかたちである」。