シェイクスピア作品を書いたのは、いったい誰なのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2597)】
ハコネウツギ(写真1、2)、ヤブウツギ(写真3、4)、アベリア(ハナツクバネウツギ。写真5)、ウツギ(写真6)、バイカウツギ(写真7、8)、カルミア(アメリカシャクナゲ。写真9、10)が咲いています。タイサンボク(写真11)が蕾を付けています。アカボシゴマダラ(写真12、13)をカメラに収めました。我が家の庭では、サツキ(写真14)が咲いています。
閑話休題、世界の40の謎に果敢に挑んだ『世界史を変えた40の謎――アクエンアテンからシェイクスピアまで(上)』(ジャン=クリスティアン・プティフィス編、神田順子監訳、原書房)で、とりわけ興味深いのは、シェイクスピア別人説を論じた「シェイクスピアとその分身」です。
「皮手袋商人の息子としてストラットフォード・アポン・エイヴォンに生まれ、1564年4月26日に受洗し、1616年5月3日に亡くなったこと以外、わたしたちは彼(シェイクスピア)についてほとんどなにも知らない。彼に言及している古文書は数が少ないうえ、役所や経理の記録、注文書といった実務的なものばかりである。彼は暮らし向きのよいブルジョワ、商人であった。これほど凡庸で経験を欠き、世の中の仕組み、宮廷のしきたりや政治のかけひき、神話、イングランドの歴史にも詳しくないはずの人物がなぜ、4世紀後のいまでも人々を魅了してやまない、あれほど濃密で、才能がほとばしる詩や戯曲をあれほど多く執筆することができたのだろうか?」。
この疑問を出発点として、多くの研究者から、さまざまな別人説――フランシス・ベーコン、クリストファー・マーロウ、第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア、ジョン・フローリオなどなど――が発表されてきました。「華々しさを欠く事実よりも伝説のほうが魅力的に見えるとき、一般に伝説のほうが好まれる」からです。
それぞれの別人説を綿密に検討したうえで、筆者が下した結論は、「これらのさまざまな別人論に共通する点は、根拠がないということ自体を根拠とすることだ」という手厳しいものです。ストラットフォード出身の人物が間違いなく、数々の名作をものしたウィリアム・シェイクスピアその人だという筆者の見解に、別人説嫌いの私は大賛成です。