「80歳を過ぎたら我慢をしない」という生き方・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2640)】
庭の、こんなにこんもりとしていたハナミズキ(写真1)、ナツツバキ(写真2)、キンモクセイ(写真3)、モクレン、ツゲなどが、4人の植木職人の手によって、すっきりと涼しげになりました。その作業中に、キンモクセイの枝に作られていたキジバトの巣(写真4~6)が現れました。つい先日まで使用されていたものです。
閑話休題、『80歳の壁』(和田秀樹著、幻冬舎新書)の主張は、「80歳を過ぎたら我慢をしない」と明快です。
著者は、80歳を超えた人を「高齢者」ではなく、「幸齢者」と呼んでいます。
「すべての人に共通することがあります。それは、全員がやがて死んでいく、ということです。死に方や年齢はまちまちですが、これだけは避けようがありません。ですが、死に至るまでには、2つの道があります。1つは、幸せな道です、最期に『いい人生だった。ありがとう』と満足しながら死んでいける道です。もう1つは、不満足な道です。『ああ、あのときに』とか『なんでこんなことに』と後悔しながら死んでいく道です」。
「認知症は必ずやってくる。ならばいまのうちにしたいことをする」。
「運動はほどほどに。一番いいのは散歩です」。
「『たぶん』という言い方しかできないのですが、『死ぬ』という状態の多くは、苦しいとか痛いではなく、やはり意識がなくなっていると思われます。要するに、寝ていて起きてこない状態なのです。だから『死』そのものは、過剰に恐れる必要はないと、私は考えています」。
「おかしな現実がいっぱい。幸齢者は怒っていい」。
「年を取れば取るほど、できないことは増えていきます。それを補うのが『With』という発想です。何かに頼ったり、誰かの力を借りたりして生きていく。それは、受け入れながら生きる、ということでもあります。・・・80歳の壁を超えていくには、このように現状を受け入れながら、方策を立てていくことが大事です。『Withを生きる』ということが、人生をまっとうすることにつながると思うのです」。
著者の主張の大原則には賛成であるが、「幸齢者になったら健康診断はしなくていい」、「医療に頼るなかれ。医師には『健康』という視点がない」、「病院に行かなくなったら死者数が少なくなったという事実」、「臓器別診療の弊害。幸齢者はトータルで健康を考えよ」、「血圧の数値の話。幸齢者は高くても大丈夫」、「糖尿病の治療がアルツハイマーを促進する」、「タバコもやめなくていい。イライラは余計に害です」といった各論には、私は賛成できません。