榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

平安時代の学問で勝負する女性たち・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2677)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年8月15日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2677)

盛んに鳴くミンミンゼミの雄(写真1、2)をカメラに収めました。ナツズイセン(写真3、4)、アメリカフヨウ(写真5~7)、インカーヴド・カクタス咲きのダリア(写真8、9)、タカサゴユリ(写真10、11)、センニチコウ(写真12、13)、ポダンギス・ダクティロセラス(写真14)が咲いています。我が家の庭では、ツユクサ(写真15)がひっそりと咲いています。

閑話休題、『平安貴族サバイバル』(木村朗子著、笠間書院)には、興味深いことが書かれています。

●学問で勝負する女性たち
「紫式部の彰子サロンでの功績は『源氏物語』を書いたことに留まらなかった。『紫式部日記』によると紫式部は漢詩に詳しいという学力を買われて中宮彰子のために漢詩文集『白氏文集』の講義をしているのである。中宮彰子が自ら望んだためだという。一条天皇は、『白氏文章』で冗談を言い合う(彰子のライヴァルの)中宮定子のサロンを知っているのだ。そのくらいの知識がなければならないと彰子も思ったはずだ。かくして宮中の女たちは、男のすなる学問というものをきっちりマスターし、男と対等にやりあうだけの漢詩の知識を身につけていたのである」。平安時代の宮中は、学問で勝負する女性たちの世界でもあったのです。

●女性の栄光と悲哀
「(藤原)道隆は、まだ子を産んでいない定子を早々に立后させている。その後、定子が第一皇子を産む一週間前に(藤原)道長の娘彰子が入内し、すぐにも立后している。后であること、皇子を産んだことにおいては、定子も彰子も同じであったし、彰子が産んだのは第二皇子にすぎなかった。実際には、定子は、彰子の出産を知らないまま第三子出産の産褥で没するのだが、彰子が第二皇子を産んだあとに、第一皇子と第二皇子のいずれが東宮に即位するかという問題が残されることになった。ふつうに考えれば第一皇子の即位が順当だが、彰子の子が即位したのは、彰子が時の権力者の道長の娘であるからだった。こうしてみると、后にのぼるにしろ女院となるにしろ、女たちの幸せは、すべて男たちの権力抗争のなかにあり、后になるという栄華よりも悲哀のほうが実感されていただろう。天皇に入内して子をなしても、少しも幸せではない女たちの現実があったとするならば、勝ち組とはなにか。『源氏物語』で紫の上が臣下の男と結婚し、子を産まない女であったのは、女たちのアンチテーゼであるようにもみえてくるのである」。『更級日記』の作者・菅原孝標女が、『源氏物語』を読める嬉しさに比べたら「后の位も何にかはせむ(后の位もなんだという感じだ)」と述べていることが思い起こされます。

●色好みの功績
「色好みというのは、現代の一夫一妻制度の価値観からいうと、性に奔放、浮気性というイメージがあって決して褒められたものではないと感じられる。しかし一夫多妻制にあって、子の出産が天下の一大事だった時代には、色好みというのはむしろ事態を打開する救世主でもあったのではないだろうか。・・・『源氏物語』は、『伊勢物語』のように端的に男を『色好み』と言ってしまうのではなくて、『帚木』巻から『須磨』『明石』巻までの前半部をとおして光源氏の色好みであることを説得的に語った物語だといえるだろう。歌物語であった『伊勢物語』は色好みの力を和歌の力にひきしぼって展開する。在原行平も業平も、政治的には不遇をかこつままに生涯を終えるが、彼らの和歌は、いまだ恋歌の力をもちつづけている。『源氏物語』で光源氏が『太上天皇になずらふ御位』につくことができたのは『伊勢物語』が内包していた色好みの力によるのである。『伊勢物語』が天皇にいまだ権力のあった時代の話だったのに対して、『源氏物語』は権力が藤原摂関家に掌握された時代の物語である。『伊勢物語』の色好みが天皇の脅威であったのとは異なって、光源氏の色好みは、天皇の位へとのぼりつめるために作用する。その意味で、色好みは摂関政治下に至って、ついに天皇を生み出す力となった。光源氏とは次代の天皇の出産を争っていた女たちの存在と鏡合わせに誕生した、あたらしいヒーロー像なのである」。色好みという観点から、『伊勢物語』と『源氏物語』の違いを論ずるとは!