『更級日記』は『源氏物語』に言及している最古の文献・・・【情熱的読書人間のないしょ話(340)】
千葉・柏の逆井のカタクリ群生地では、カタクリたちが可憐な明るい紫色の花を俯き加減に咲かせています。群生地の近くで、東武アーバンパークライン(東武野田線)とナノハナ(セイヨウアブラナ)のツー・ショットをカメラに収めることができました。最近は、女房が写真の腕を上げてきて、私はたじたじという有様です。因みに、本日の歩数は14,794でした。
閑話休題、『更級日記――全訳注(新版)』(菅原孝標女著、関根慶子訳注、講談社学術文庫)は、『更級日記』を読み解くのに最高の手引き書です。
「源氏の五十余巻」の段は、このように訳されています。「伯母にあたる人が地方から上京してきている所に(親が)私を行かせたところ、『たいそう可愛く成長したことねえ』など感心し珍しがって、帰りがけに、『何を差し上げましょうか。実用的な物ではつまらないでしょう。ほしがっておられるという物をあげましょう』と言って、源氏の五十余巻櫃に入ったままのをまるごと、・・・それらをいただいて帰るときの気持の嬉しさといったら、なんともすばらしかった。胸をわくわくさせて少しばかり読んでは、十分わからないで今までじれったく思っていた『源氏物語』を、最初の巻から始めて、ただ一人っきりで几帳のうちにうつぶすようにして、一冊一冊をひき出しては読むその気持といったら、皇后の位だっていったい何にしようか(くらべ物にもならない)。昼は一日じゅう、夜は目のさめている間じゅう、灯火を近くともして、これを見る以外の事はないので、自然と物語の文句がそらで頭に浮んで来たりするのを、大した事に思っている・・・。・・・物語の事ばかりを心に深く入れて、『私は今器量もよくないことだ。年ごろになったら、顔かたちもこの上なくよく、髪も非常に長くなるだろう。光源氏の愛した夕顔や、宇治の大将の愛した浮舟の女君のようにきっとなっているだろう』と考えていた心は、(今思うと)まずもってなんとも頼りなくあきれかえったことだった」。
菅原孝標女(たかすえのむすめ)が数え14歳の頃は、『源氏物語』の成立時から約10数年という近い時点で、『更級日記』は『源氏物語』について言及している文献として、最古のものなのです。『源氏物語』が当時どのように流布していたかが分かるだけでなく、『源氏物語』が当時から、音読されたものを聴くだけでなく、黙読の文学としても愛好されていたことを知ることができます。そして、『源氏物語』の現存諸本がほとんど当時の分量や内容を保っていることも、『更級日記』に「源氏の五十余巻」や「夕顔」、「浮舟」などと記されていることから明らかです。
また、「初瀬」の段に、「『(ああそうそう)源氏物語に、宇治の宮の娘たちの事が書いてあるのを、宇治がどんな所なので、(作者は)えりにえってそこに住ませたのだろうかと、(源氏を読んでから)見たく思ったその場所なんだわ。なるほど風趣のある所だなあ』と思いながら、やっとのことで川を渡って、殿の御所領の宇治殿を、中に入って見るにつけても、浮舟の女君がこんな所に住んでいたのだろうか、などとまず思い出される」とあることから、人々に「宇治十帖」も含めたものが『源氏物語』と認識されていたことが分かります。