千年前の『源氏物語』が今日まで辿ってきた複雑な道程・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2182)】
千葉・柏の「あけぼの山農業公園」は、チューリップが見頃を迎えています。我が家の庭の片隅で、エビネが咲き始めました。因みに、本日の歩数は11,863でした。
閑話休題、『人がつなぐ源氏物語――藤原定家の写本からたどる物語の千年』(伊井春樹著、朝日選書)は、現在、私たちが読んでいる『源氏物語』は紫式部が書いた作品そのものの現代語訳ではないかもしれないということに、改めて気づかせてくれました。
「『源氏物語』が成立して200年ばかり経たのち、写本によって異なる本文を整えて標準化しようと、諸本を校訂して生まれたのが(源光行・親行親子の)『河内本』であり(藤原定家の)『青表紙本』であった。河内家の方針は諸本を見比べて読みやすさを指針としたのに対し、定家は情趣を重んじ、和歌的な表現を積極的に採用した。定家本が優位性を持ったのは、歌人としての高い評価と、表現性に富むスタイルにあった。だからといって『青表紙本』が、『河内本』よりも古い姿の『源氏物語』を留めているとの判断はできない」。
「『源氏物語』を読もうと思っても、成立した当初から本文は一定していなく、時代を経るに従い異同の幅が増し、ときには『さくら人』とか『巣守』巻も混入していた。平安時代末期のころから『源氏物語』の校訂本を作る機運が生まれ、基本的に54巻の大枠を決め、巻序を定め、ことばの区切りや読みの取り決めもしたのが光行・親行と(藤原)俊成であり、そこから『河内本』と『青表紙本』の誕生となった。かつての本文の流動化はなくなり、転写による異同は生じたものの、大きくは2つの校訂本の範囲内で、時代の風潮に伴う盛衰となる。定家が『源氏物語』の全巻を揃えたのは一度とは限らず、自分なりの本来あるべき物語の姿を求めて校訂を継続したはずである」。
「平安時代の『源氏物語』と信じて読んでいた現代の読者は、鎌倉時代に校訂された本文を読んでいたと知り、しかも定家本ではなかったことに落胆しかねない。平安から鎌倉の新しい時代の訪れにより、河内家も定家においても本文の姿を大きく変えたことは確かである。しかしいずれも勝手に改作したのではなく、伝来した本文の枠から外れることのない校訂であり、読みやすさを求めて説明的な本文としたのか、簡潔で情趣的な本文を選んだかの違いであろう」。
「今のところは、定家本が全巻発見でもされない限り、いずれかの系統の転写本で読むしかない。個人的には(『青表紙本』の系統の)三条西家本の再評価と、併せて『河内本』も読むべきだと考える。現代ではあまりにも(『青表紙本』の系統の)『大島本』に集中し、すっかり読み慣れてしまっているが、いずれかの機会に変更すべきだと思う」。
紫式部が書いた自筆本が残っていない以上、それがどのようなものだったのかは永遠の謎であり続けるでしょう。それはそれとして、林望訳の『謹訳 源氏物語』を再読したくなりました。