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ライヴァルたちを呪い殺した六条御息所が語る『源氏物語』・・・【山椒読書論(202)】

【amazon 『六条御息所 源氏がたり』 カスタマーレビュー 2013年6月11日】 山椒読書論(202)

六条御息所 源氏がたり』(林真理子著、小学館、全3巻)では、林真理子の作家魂がめらめらと燃えている。六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)という女性の視点に立って、『源氏物語』を語るという趣向が秀逸である。

六条御息所というのは、かつて東宮(皇太子)妃であったが、娘を儲けた後、東宮が早世したため、現在は自分の宏壮な邸で優雅な生活を送っている最上流の貴婦人である。美しく気品があり、趣味がよく風流を解し、才能、教養、知性、身分ともに非の打ち所のない年上の彼女に憧れた光源氏が、頑なに拒否されながらも、足繁く通い、遂に強引に彼女の御簾(邸の奥深い所にある居間兼寝室)の中に入っていき、思いを遂げたのである。なお、彼女の娘は後に天皇の后(中宮)になっている。   

ところが、源氏は、嗜み深く優雅ではあるが、矜持の高い彼女をやがて持て余すようになり、逢瀬も間遠になってしまう。何事も一途に思い詰める性格の彼女は、源氏に対する熱い思いを抑えることができず、嫉妬に駆られ、生き霊となって、死後は死霊となって、源氏の妻や愛人たちに祟るのであった。

『源氏物語』に登場する女性たちの中で最もなよやかだと、読者の人気度が高い源氏の愛人・夕顔に対しても、六条御息所は手厳しい。「闇の中でも女(夕顔)はたとえようもなく従順でした。あの方(源氏)のどんな大胆さにも、激しさにもひるむことなく応えるのです。もう少しあの方に経験があったら、女の体のあちこちに子どもを産んだなごりを見つけることが出来たはずですが、そんなことは無理でしょう。女は心細げにぐったりとしております。衣装をつける間を全く与えられませんので、裸の肩に表着だけをふんわりとかけておりますが、陽の下で女のそんな姿を見たことのないあの方は、いとおしくてたまりません。・・・何度も女と契り、疲れて眠り、そして起きたばかりのあの方の顔は、うっすらと汗をもち薄桃色にほてったままです」。そして、源氏がこんなつまらない女を愛するのは許せないと、ライヴァルの夕顔を呪い殺してしまうのだ。

また、男児を出産直後の源氏の正妻・葵の上に取り憑いて、その命を奪ってしまう。

六条御息所の源氏に対する人間評価は厳しく、容赦がない。「あの方の女に対する狡猾さは今に始まったことではありません」。「この頃のあの方は、色ごとの中にも冷静な計算が出来る男になっていました」。「こと女のことになるとあの方は、自分の息子に対しても猜疑心を持ち、意地が悪くなっていきます」。「娘は、あの方の『隙あらば』という姿勢にうんざりしております」。「あの方は正真正銘、生まれついての好色者(すきもの)でした。老いのきざしも、この何年か培ってきた政治家としての思慮も、あの方の好き好きしい心を抑えることは出来なかったのです」。「自分に夢中になる人間を、ひややかに眺めるのはいつものあの方の癖です」。「二人の女の間で揺れ動くというのは、久しく忘れていたあの方の大好きな行為でした」。「そうですとも。あの方は今までに何度となく人の妻を盗んできました」。「あの頃は女を恋し、女を手に入れるのがどうしてあれほど楽しかったのだろうかと、あの方は思わずにはいられません。そのためにさまざまなことを企み、幾つもの手紙を書き、時にはさめざめと泣いたりもいたしました。結局は半ば暴力的に、自分のものにした女もあまたいます」。あらゆる美点を兼ね備え、世間から理想の男性と見做されていた源氏も、これでは形無しである。

紫式部がなぜ『源氏物語』を書いたのかを、林はちゃんと見抜いている。「ほんの少女の時からあの方がひき取り、長い歳月を共にした最愛の女性(にょしょう)」であり、人々から一番幸せな女性と思われていた紫の上。その紫の上の臨終が迫った時の正直な気持ちをこう描いている。「男の愛など何だろうと、紫の上さまは思われました。あれほどはかなくてもろいものに縋って、自分たち女が生きていかなくてはならないのは、なんとつらい運命なのだろう」。

千年を隔てた紫式部と林が、他人に対する厳しい目を共有していることを、この3冊で、改めて思い知らされた。おお、怖。