榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

田辺聖子の艶笑エッセイ集を読んでみた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2681)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年8月19日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2681)

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏行)」の季節になりましたね。2時間25分の間に、2回、それも1回は1mという近さで、ギンヤンマの交尾を目撃したのに、残念ながら撮影には失敗。チョウトンボの撮影も失敗。シオカラトンボの交尾(写真1)、産卵(写真2~7)をカメラに収めました。隣家では、ハツユキソウ(写真8~10)が見頃を迎えています。水遣りをしていた我が家の庭師(女房)が、ヒガシニホントカゲの幼体がいる、と駆け込んできました。カメラを手に駆けつけたが、時遅し。俵万智を真似て、「ギンヤンマチョウトンボにトカゲまで撮影できず残念記念日(榎戸誠)」。

閑話休題、田辺聖子の半生をモデルにしたNHK連続テレビ小説『芋たこなんきん』の再放送を楽しく見ていたら、『ああカモカのおっちゃん』(田辺聖子著、文藝春秋)を読みたくなってしまいました。田辺の古典物は好きで、いろいろ読んできたが、こういう市井の人々をテーマにした作品は初めてです。

一読して驚いたのは、『ああカモカのおっちゃん』が、想定外の艶笑エッセイ集だったことです。

例えば、「女の太もも」は、こんなふうです。「『キタノサンは、おくさんがはじめてですか?』。『いや、ちがいます。その前に知ってました』。こういう所、キタノサンが機械屋だから正確なのではなく、男だから正確なのである。女は、こういうとき、きまって、ゴマカしたり、ウソついたり、話をおぼめかしたり、わからぬ風をする。男は正直でいい。『はじめて女の人を知って、何にいちばんビックリしたの? 教えて教えて』と私はせがむ。『さよう』。キタノサンは正確を期すべく、再びマジメに考えこみ、『ふともも、でした』。『太腿』。『はあ、女のふとももって、こない太いのんか、とビックリしました。太うて白かった』。『それは何ですか、年増で肥満した女性?』。『いや、すんなりした娘でしたが、外から、あるいは横から見とっても分りまへんでした。それが、脚あげたん正面からみたら、ほんとに太うて白うて――』、私、一生けんめい考えたが、どうもよくその状景がハッキリしません。私の方は、というと、男性の軀をはじめてみて一番ビックリしたのは、『あのう、揺れてることでした。だって女の体で、揺れてるトコなんてないんですもの』。『バカ、あほ。淑女がいうことちゃう』。昔ニンゲンのキタノサンに叱られた」。

「野暮と粋」は高尚な話かと思ったら、こういう展開です。「野暮、粋、というのは、下着には関係ない。私なら、カモカのおっちゃんは知らず、好きな男はどんな下着をつけてても好きであって、ステテコ、パッチを見て百年の恋もさめるということはまず、ない。(ないように思う)。ステテコ、パッチを着てれば、ほほえましくてよけい好きになる。素肌にワイシャツの姿でも、これまた、かわいくて好もしい。要は、中身だけである。好きな男のすることなら、みんな、粋にみえてくるんだ。中年女というもんは、融通無碍なのだ。そうして、粋の、野暮の、という色分けが、ずいぶん恣意的になる。そのことから、野暮と粋につき、みなみなと論争することになってしまう」。いいぞ、その心意気!

「セリ売り」では、一夫一妻制が槍玉に挙げられる始末です。「『僕はこの間、酒飲みながらふと考えたんやが』。おっちゃんが、酒を飲みながら考えると、ろくなことはないのだ。『セリ売り、というのは、どないですか』。『セリ売りって、なあに?』。『いや、男も女も、年に一回、セリに出す。法律できめまんねん』。『欲しい、と思う人がセリ落とすわけですか』。『さよう。――つまり、一夫一婦のひずみを失くす、ということを眼目にした、これはかなり劃期的、世界的なる、斬新にしてかつ大胆奇抜なる大アイデア』。前置きの長いのに、たいしたのはないが、『一夫一婦制度というのはたいへん不便。つまり、ある人妻、あるいは人の夫が、ええなあ、と思っても、やたら横取りするわけにいかん。賃借りもままならぬ』。『あたり前やろ』。『売り物、買い物にあらざれば、悶々として指くわえて嘆くのみ。これは、あたらエネルギーを埋没させてることで、国家的にも大損失。これに希望をあたえ、エネルギーを発揮させるようにしむけてやれば、発奮する』。・・・『おせいさんなんかであると、<五百円>からはじまっても、満場、寂(せき)として声なし、ということになる』。『そうかなあ。そう思いたくない。私、ひょっとして、一千万あたりで、落札されるかもしれないよ。そうなると、いちばんビックリするのは亭主だね』。『うーむ。それ。このセリ売り制度には、それがあるのです。マサカ、ヨモヤ、と思う亭主なり妻なりが、ホカの男や女に意外な高値でセリ売りされてるのをみると、おどろいて見直す。――こんな値打ちある奴やったんか、とわが不明を恥じ、以後は大事に扱うようになる。倦怠期の夫婦の危機を救い、一夫一婦制度のヒズミを正す。ええ案や、と思いますがなあ』。おっちゃんは大得意」。

古典物からは想像できない田辺の一面に触れることができ、大満足!