内縁の妻、一線を越えてしまった二人の女弟子の語りから、女性に対し歯止めの利かない与謝野鉄幹の実像が立ち現れる・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2729)】
ヘチマ(写真1、2)が花と実を付けています。ノブドウ(写真3)が実を付けています。キノコ(写真4~13)をカメラに収めました。
閑話休題、『やわ肌くらべ』(奥山景布子著、中央公論新社)のせいで、与謝野鉄幹(寛)に対して抱いてきたイメージが崩壊してしまいました。
親の資産で鉄幹を経済的に支援すると同時に、自らも献身的に鉄幹の出版事業を支えた内縁の妻・滝野、滝野贔屓のお手伝いの「もよ」、憧れの師・鉄幹と一線を越えてしまったが、親の決めた相手と心ならずも結婚する登美子、これまた憧れの師・鉄幹と一線を越えてしまい、妻の座を獲得した後も、夫の盛んな女性関係に悩む晶子――の語りによって、鉄幹という、女性に対し歯止めの利かない人物の実像が立ち現れてきます。
滝野の語り――
「借金があるなんて、聞いていません。『なぜそんな借金・・・』と私が言いかけると、『男の一大事にいちいち口を出すな』と、鋭い声が飛んできました。『おれはもっと大きな存在になる。日本で知らぬもののない詩人になるのだ。その妻になるのだから、小さなことに汲々とするな』。あとで分かるのですが、これが、寛さんの口癖でした」。
もよの語り――
「奥さま(=滝野)が。本当にはじめて見た時は驚きましたよ。掃きだめに鶴ってぇか、ねぇ。上品で、色白で、おっとりしてて、髪はいつもきっちり丸髷に結い上げてて、後れ毛一つない、うなじがすっきりときれえなお方でした。なんであんな旦那(=鉄幹)にこんな奥さまが。騙されて連れてこられちゃったんだか、お気の毒にって、ずっと思ってました」。
「あんなきれえな方(=滝野)を奥さまにしていながら、なんでこんな女(=晶子)をっていうくらい、ヘンな女でした。髪をずるずるに振り乱して、そのおどろになった髪の間から、目ばかりぎょろっとさせて。はじめて見た時、あんまりびっくりしてあたしゃ声も出なかった。まるでお化けですよ。・・・夕飯もそこそこに、旦那の部屋に二人で籠もっちまって、まあ、激しいのなんの。獣の吠え声みたいな叫び声を上げながら、何度も何度もうれしがってんですから。建具もがたがた揺れるし、そんな声がえんえん、えんえん続くし。・・・寝る前に、ちょっと襖の隙からのぞいちまいましてね。あんまりすごいから、つい。女が旦那の上に乗っかって、大きな胸をおっぴろげてゆさゆさして、腰もがくがく揺らしながら、口をぱっくり開けてよだれ垂らしてあんあん言ってましたよ。あんなの、女郎屋に置いたら良い玉でしょうけど」。
登美子の語り――
「この八月、私、先生(=鉄幹)と二人だけの一夜を過ごしてしまったのです。忘れもしません、八月の七日」。
「『先生、もう、やめてください。もうそれ以上おっしゃらないで』。『すまないね。愚痴ばかり聞かせて。こんなことは、晶子には言えないから。君だけだよ、打ち明けられるのは』。・・・私は思わず、先生の胸に飛び込んでしまいました。『ありがとう、登美子君。ありがとう』。先生の手が震えるように、でも温かく、私の背を撫でます。その夜、私は(寄宿先の)大学の寮に帰りませんでした」。
「このまま、互いの身体も魂も溶け合ってしまえば良い。そう思いながら、人目を忍ぶ宿で、私は先生の身体にむしゃぶりついていました」。
晶子の語り――
「『晶子君・・・』。先生(=鉄幹)は両の掌で私の顔を引き寄せると、頬の涙に唇を押し当てました。『何を言っている。そんなはずないじゃないか』。唇はやがて私の唇に重なりました。柔らかく、包みこむような男の唇の感触に、私は我を忘れて先生の身体にしがみつきました」。
「中居がいなくなると、私の身体はしっかりと抱きしめられました。私はただただ夢中で、先生のなすがままになっておりました。罪深い、極彩色の夢のような時が滔々と流れ、自分の身体がもはや自分の知っているそれではないような気がしました。恋の歌をあれほど数多く作っていながら、真実、男を受け入れるとはどういうことなのか、ようやくこの夜、知ったのです。離れがたく、離れがたく、離れがたく」。
「一月にはじめて真に男女の仲となってから、そろそろ四ヶ月が過ぎようとしています。愁いを帯びたお顔も、優しく抱きしめてくださった腕も、この身に深く受け入れた男の徴(しるし)も、片時も忘れたことはありません」。
「中でも、先生の、滝野さんへの変わらぬ未練は、私をずっと苦しめました。できるだけ見ないふりをしていましたが、先生は頻繁に滝野さんにあてて手紙を書いている様子でした」。
「ああ、また、隠すでもなく、あの臭い。登美子さんに会ってきたのでしょう。病でいっそう細く華奢になった身体を、思う存分抱きしめてでもきたのでしょうか。二人がとうとう一線を越えてしまったことは、とっくに気付いていました。・・・夫の浮気をここまではっきり見せつけられながら、二人の子の世話をし、眠る隙も惜しんでひたすら原稿を書いて、それでもびくともしない私は、せめて心の奥で鬼を飼い慣らしておくしかありません」。
至高の官能小説と評したら、著者の奥山景布子は気分を害すでしょうか。