家族への「ありがとう」を綴った小学生たちの作文集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(834)】
散策中に、まだ子育てをしているツバメを見つけました。そして、3羽の雛たちが餌をもらおうと懸命に黄色い口を大きく開けているシーンを撮影することができました。私の散策コースのあちこちに伝書鳩(カワラバト)を飼っている人たちがいます。サギソウが、名前どおり白いサギのような花を咲かせています。駅前広場の特設ミニ・プールと滑り台から子供たちの歓声が聞こえてきます。因みに、本日の歩数は13,033でした。
閑話休題、『からっぽ たいくつ どようびは まだ――子どもが家族に贈る「ありがとう」短編集』(「いつもありがとう」作文コンクール書籍制作委員会編、幻冬舎メディアコンサルティング)は、「普段言葉ではなかなか言えない家族への感謝の気持ちを作文に書こう」という呼びかけに応じて寄せられた全国の小学生たちの作品集です。
「わが家に伝わる魔法の呪文」には、こういう一節が書かれています。「よるごはんをたべていたときのことです。ぼくのすきなおとうさんが、いいことをおしえてくれました。ぼくといもうとはよくけんかをします。・・・おとうさんが、けんかのなくしかたをおしえてくれました。『おにいちゃんは、いもうとがいてくれてよかったことをみつけてごらん。いもうとは、おにいちゃんがいてくれてよかったことをさがしてごらん』といったのです。・・・きょうだいだけじゃなくて、おとうさんやおかあさんのいいところも、かんがえるようになりました。ぼくといもうとのけんかはへりました。ほめてもらったらうれしいきもちになります。だから、けんかがなくなるとおもいます。ぼくのかぞくは、おたがいにいいことをいうのがはやってます。なつやすみにはやったことです。でも、これはなつやすみがおわってもやめないでつづけたいです。・・・みんなありがとう」。この魔法の呪文が、日本中に広がるといいですね。
「かいじゅうのはなし」は、こう始まります。「お母さんありがとう。私の中の小さなかいじゅうを、あたたかく見守ってくれて。私の心の中には、小さなかいじゅうがいます。普段はおとなしくしているけれど、しかられると、とつ然大きくなってあばれだします。そしてお母さんを困らせて、またよけいにしかられます。・・・『あのね、花奈の中には小さなかいじゅうが住んでいるんだよ。納得がいかないことがあると、すぐにあばれだすんだよ。でも、悪いかいじゅうではないよ。心が成長するのに必要なかいじゅうなんだよ。誰の中にもいるし、実はね、お母さんもまだこっそり飼っているのよ』。私はなるほど、と思いました。・・・私はほっとしました。たくさん反こうするのは、悪い子がすることだと心配になったけど、かいじゅうがいるのはおかしなことじゃないんだ、と分かったからです。でも私は、できるだけかいじゅうにあばれてほしくないです。・・・私のかいじゅうは時々やっかいだけれども、どうやら長い付き合いになりそうだから、ずっと仲良くして行きたいです。お母さんありがとう。私の小さなかいじゅうに気付いてくれて、好きだと言ってくれて、本当にありがとう」。こういう母親に育てられた子供は幸せですね。
「父からの贈り物」は、こんなふうです。「私は本当は知っているんだ。つめだけではなく、腰も、うでも、ひざも、いろんな所が痛いと母にしっぷをはってもらっている父の姿を。でも、私の前では弱音をはかない。『お前たちがお父さんの宝物だ』と言って、つかれていても笑顔でだきしめてくれる。父が暑い日も、寒い日もがんばって仕事をしてくれるから、私たちは何不自由なく生活できているんだと思う。ありがとうと面と向って言うのは、なんとなく照れくさいから、五年後も、十年後も、洗たく機までおみやげをはこぶよ。感謝をこめて」。実は、このお土産というのは、汗かきな父が仕事中、何度も着替えたシャツや汗を拭いたタオルたちなのです。微笑ましい親子のやり取りが瞼に浮かんできます。
子供たちのいろいろな「ありがとう」に癒やされる作文集です。